ショートストーリー『〜ラブ・コントロール 恋のかけひき〜』
~ラブ・コントロール 恋のかけひき~
1
何となく寂しい夜がある。
と言って、別に誰かにそばにいて欲しいわけでもなく…、それはそれで、それなりにひとりぼっちを楽しみたい…というような…。
久しぶりにバーボンなどを飲みながら、何を思うわけでもなく、俺は一人静寂の中にいた。すると、急にそれが破られた。電話のベルというやつは、いつも突然鳴り響く。心臓に悪い。とくにこんな静かな夜には…。「この次からは鳴り出す前に前もって予告の電話をしてくれよ」…と、赤い光を点滅させてオレを呼び続ける電話機の遠慮のなさに、心の中でぼやいた。
なんてつまらないジョーク…。苦笑いしながらベッドサイドテーブルの表面に出来た水の輪っかの上に、グラスの底を合わせて置くと、オレはゆっくりと受話器を取った。
「あっ、いた! 何だ、いたんだ、起きてたんだ、こんな時間に。もしもーーし!」
2
最初、その声が誰なのかわからなかった。わかったのは、まず彼女がひどく酔っていることに気づいたそのあとだった。
「何してたのー?」
「めずらしいじゃないか、電話して来るなんて。一人で飲んでたよ」
「こんな楽しい夜に一人ぽっちで何さみしんぼしてるのかなァ? 出て来ーい。くやしかったら出て来ーい!」
俺は言われるほどには寂しくもなく悔しくもなく、彼女の言うことはまったくの余計なお世話だった。電話の彼女の背後からは、そこが駅であろうと思わせる雑踏のノイズが聞こえていた。
俺は彼女のことはある程度わかっているつもりだ。こんな酔い方はしない。酔ってわざわざそんな場所から電話なんかも…。少なくとも、あの頃は…。
3
「ホント? ねえ、ホントにここで待ってたら、来てくれる?」
「ああ」
「ホントにホント? すぐ来てくれる?」
「ああ、すぐ行くから、そこから動かずに待ってるんだぞ」
全くなんてムチャな真似を…と、少し怒りながら俺は家を飛び出した。最寄りの駅まで走って3分。タイミング良く電車がホームに入って来た。そこから彼女の待つ駅までは15、6分。タクシーよりはずっと速い。
電車に揺られながら俺の気持ちはまったく落ち着かなかった。なぜ今さらこの俺に電話なんか…。もう終わったはずの俺たちなのに…。でも、今彼女を一人にしておけない。複雑な思いが胸に渦巻き、心ばかりが彼女の元へと急ぐ。窓の外をカラフルな街の夜景は、もどかし過ぎるほどゆっくりと、後方へと流れて行くのだった。
4
俺の最寄りの駅を通る電車の線と、彼女の最寄り駅を通る電車の線が交わるターミナル駅。最終に間近いその時間、それでも駅は多くの人でごった返していた。
改札口の近くの公衆電話の並ぶ柱に寄りかかり、かろうじて立っている彼女がいた。そばに行くと、彼女は泣きべそをかいたような笑い顔で俺を迎え、そしていきなり俺の胸に頭をもたせかけると、ペラペラと矢継ぎ早に何かをしゃべり始めた。俺はそのほとんど意味不明な言葉を、右手を彼女のうなじにまわし、ただ聞いていた。
なぜ、俺たちはここにいる……? どうして俺を呼んだんだ……? 俺たちの素敵だった関係は、もう一年も前を境に消滅に向かい、半年前には、多分、消えていた。
このまま彼女を送って行けば、俺の帰る電車は終わってしまう。そうすれば…。それが何かはわからない。わからない何かに導かれ、俺たちはひとつの方向へと向かっていた。
5
「今の俺たちって、何なんだろう」
「……わかんない。…フフッ、ヘ~ンな関係」
酔った彼女を家まで送り、俺は懐かしい部屋の中にいた。駅では泣きべそをかいていたが、電車の中では俺の肩に頭を預け、彼女はずっと目を閉じていた。彼女は多分、眠ってはいなかった。降りる駅で先に席を立ったのは彼女だった。そして今は、陽気な彼女になっていた。
彼女の好きなグリーンとイエローの花柄カバーをかけたソファーベッド。俺のひざをまくらに、彼女はぐったりと体を伸ばし、まだ酔いの冷め切らない顔で俺を見上げている。
あの頃のようなスチュエーション。いや、あの頃はその逆か…。そう、俺が彼女を見上げていた。
「フフッ、気持ちイイ~」
時々目を細めて微笑む彼女。俺も自然と口元がほころぶ。何の違和感もなく、あの頃に戻れるような気がしていた。あれはもう一年以上も前になるのか…。まるでそんなブランクなどなかったような、つい昨日もここにこうしていたような、そんな不思議な感覚に俺はとらわれていた。
6
酔って電話して来た別れた彼女。俺は駅へと迎えに行き、さらに彼女の家まで送って行った。彼女の部屋でのあの頃の思い出の数々が、まるで昨日のことのように脳裏に蘇って来た。
もうすでに終わったはずの二人なのに、バスルームに置きっぱなしの俺の歯ブラシ…。何故……? かけらほどの俺を愛おしむ気持ちが残ってでもいたのか…。
終わってはいなかったのかも知れない。出会った時からの、これが自然な流れなのかも知れない。出会った時に始まった、俺たち二人の時間の流れ…。“恋の旅”。
二人の心は遠くもなく近くもない距離で、それはしばらく続いていた。だが、「もっと近づきたい」という願望は、多分俺のほうが強かったのだろう。その分、俺の心のほうが速く進み、彼女の心はゆっくりと進んでいた。そして、ある日突然、何かの拍子に急接近。彼女の心が、それまでの二人の心の距離をワープして、俺の心に追いついた。二人の思いが、ひとつになった。
7
彼女の気持ちが、俺の気持ちに追いついて、二人の思いがひとつになった。…と、あの時俺はそう感じていた。しかし、今考えるとそれは“大いなる勘違い”だったのかも知れない。
不可抗力のコントロールミスによる心の急接近。そして融合。
それはあまりにも甘過ぎる、切な過ぎる勘違い。そして、激しく燃えて、燃え尽きた。
燃え尽きた…はずだった。だが、終わってはいなかった。二人の時間は、まだどこかで音もなく、静かに流れていたのだ。
「キミからの電話、とてもうれしかったよ、ホントに…。でも、二度とダメだよ、あんな酔い方は…」
「…うん」
「心配だから」
「……わかった」
やがて彼女は、何か安心したような面持ちで静かに寝息を立て始めた。そして俺は、あの頃よりもはるかに穏やかでどこか新鮮な、そんな心持ちで、彼女の寝顔を見つめていた。
8
意識の中で、音を立てて流れ始めた、二人の時間。再びの“恋の旅”。俺の心に、陽の光が優しく射し込み、風が爽やかに香り始めた。
今度こそしっかりと、同じ方向を見て、歩調を合わせて歩いていこう。どちらも速過ぎることもなく、遅過ぎることもなく…。もしも彼女が遅れたら、俺は無理せず待つことにしよう。まわりの景色でもゆっくりと眺めながら。そして彼女が追いついて来たら、また一緒に歩き出すのだ。それが二人の、自然の歩み。
彼女の寝息を聞きながら、俺もいつしか、心地良い眠りの中へと落ちて行った。そう、それは予期せぬ一本の電話から始まった、そんな素敵な夜だった。
… End
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