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ピックアップされ辛いけど軽く被災してました。

※この記事を書いてる現在も多数の方々が被災され辛い日々を送られてます。
心から早く復興と災害が立て続けに起きぬよう心から祈ってます。

私は富山の沿岸部に住んでて、能登半島の街に比べれば大した事はありませんが、自身も軽く被災をして現在も近所の方々も生活再建が大変な状況であります事あらかじめお伝えします。

2024年の元日の出来事。

2024年新年早々から寝正月を決め込み自宅でのんびり過ごしながら明日は何処かに初詣に行こうかな?とぼんやり考えてた夕方に突然軽い揺れがありおや?と思う間も無く激しい揺れがありました。
日頃富山県人は地震にはあまり慣れて無い事もあり恥ずかしながらあり事もあろうにタンスを倒れないよう支えると言う行動を取ってました。
※日頃から備えてる方も勿論多数います。

地震発生直後のアナウンスが切羽詰まってました。

それからすぐテレビを付けて見れば津波が来ます?逃げて!と言う怒声に近い悲痛なアナウンスが繰り返され始めてコレはヤバイとなりました。

そして五分位後から家は高台にあるのですが、裏の道が沿岸部から避難する車で渋滞してました。
※普段は近所の人しか通らない道

揺れが収まり津波が到達しましたアナウンスも落ち着きはした物の次々と震源地の能登の街の被害が報告され、被害があった下の町(後ほど説明します)から親戚が来て避難所が一杯(近所の小学校)なので泊めて欲しいなどバタバタしてました。

やがて日も落ち暗くなり周りの状況が分からないから直ぐ退避できるよう備えて寝ずの番。
もっとも小さい揺れが何度も何度も押し寄せてたので寝れた物ではありませんでした。

長い夜が明け

朝になり明るくなり幸いにも北陸には珍しい晴れに恵まれたので近所の様子を見に行くと。。。

高岡市伏木地区1月2日撮影

わが家は大丈夫でしたが、昔海だったと言われて居る商店街がある地区、港に近い地区は地盤が液状化して道はズタズタで車では通行不可、家や電柱は傾き、至る所で砂が吹き出してました。

で、我が家もその日の夕方から水道が止まり始め、3日完全断水状態になり、給水車が来るまで近所の湧水を汲みに行ったり普段ポリタンクに溜めてた水を使ったりして凌いでました。
まともに風呂に入れてトイレも使えるようになった時は心底生き返った気分になりました。

長野の佐久市から救援が、この後石川に向かったそう

全体的見ると能登半島の地形が激変する位の隆起が確認され、珠洲市、輪島市、七尾市、他私もよく遊びに行く能登島などなど能登半島に住まいされてる方々の被災に比べると電気は通じてたし道はガタガタ(現在通行止めになってる箇所も多数)ながらなんとか車は動かせる状況だったのですが、富山県も勿論、新潟県にも地震の被害はありました。
現在は普通の生活をようやく送れる目処が立ちつつありますが、まだまだ生活再建が難しい人も多いです。

と言う状況ですね。
次回は能登半島の震災に対して植物を通じて取り組んだ話が出来れば幸いです。

最初のサボテンハウスの画像は志賀町に昔あったサボテン屋さんのハウスです。
志賀町もかなりの被災を受けてます…

#能登半島地震 #被災地 #サボテン

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