ヌルっと開始が善。決意表明は死亡フラグである。
noteヌルッと再開。決意表明は信用できん。
基本的に三日坊主を大肯定している僕だが、やはり『何かに向かって何かを続けることは意外に大事』だと思い改め、超久々に記事を執筆することに。
大声は出さず、地味に、静かに再開する。
盛大に決意表明するほど後々やる気が失せていくのは、これまでの経験から容易に想像できる。
※Voicyなんて"キヨキヨしい"ほどの三日坊主だったのだ。
静かに辞めつつあったYouTubeも、2023年に入ってヌルッと再開したおかげで一年続けることができた。これが何よりの証拠だと思う。
そして今回なぜnoteを再開しようと思ったのか、、、ハッキリとした目標なんて別にないが、なんとなく文章を書くことへの諦めがつかなかったのだ。
情熱とも形容できない謎の火種がボヤッとしている感じ。なんだこれは!(岡本太郎風)
その火種の根本を探ってみると、やはりそうだった。僕が人生を通して最も価値を置いている『自己表現』に行き着いたのだ。
まあ打算的なことを言えば、自分のプロフィールにもなるし、収益源の一つにしようという魂胆もある。一応文章で飯を食っていた時期もあったのだ。
結局、マスター○ーションが原動力。
僕は結局のところ、これまでやってきたパルクールであれ、映像であれ、文章であれ、「これが俺なんだ!俺の世界を見てくれ!」といったある種の承認欲を含んだものが根元にあるのだと思う。
そしてそれを顕在化した言葉が『自己表現』というものではないかと。
これはアーティストに近い感覚ではないかと思っている。そしてその葛藤も勝手に肌で感じている。
「自己表現をしたいが需要も押さえないと。。。あぁジレンマ。」
これが表現者の葛藤ではないかと、一丁前にアーティスト気分に酔っている次第だ。
まぁ現実的な話で言えば、社会不適合者の僕がYouTubeだけで食っていくなんてあまりにもバカげている。バズったとしてもそれは一過性のボーナスタイムに過ぎない。
今はいろいろあって東京から故郷へ出戻りしていて、家業の仕事をしながら休日にYouTubeの撮影をして毎週水曜日に投稿している。
(故郷での暮らしではアコムを返済中。50万の借金が残り半分ほどになった。)
そしていずれはまた田舎を離れて、奨学金と向き合いながら一人暮らしをすると決めている。
ならそれまでに、せめてYouTube以外の糸口として、"不得意ではない文章"を使った発信でなんとか次の一手を見出せないかというところである。
もしそこから活路が開けたとして、その後も時代の変化に応じてフィールドを変えていく必要もあるだろう。
野良犬の運命だろうか、生きていくだけで多くのことを考えないといけないのは正直辛いが、やはりそんな中でも自己表現というワガママは手放せない。
いっそ、その執着も含めての表現なのだと諦めるしかない。
「諦めは物事を明らかにすること」とはよく言ったものだ。なんだか心が軽くなったぞ。
名言は非常に都合がよく、そして便利である。
今後noteはどう運営していくか。
基本的にはエッセイ風というか、雑多なテーマで記事を書いていけたらと思っている。
人生で体験したことを書いたり、そこから学んだことを共有したり、Amazonアソシエイトリンクを貼ったり。
自分の愛用している所持品なんか紹介するのも面白いのではないかと思っている。単なる雑記ブログのようなものだ。
YouTubeの裏側(あのシーンはあんな感じだったみたいな)をバラしてみたりとか。
例えば、東京から京都まで歩いた『蒸発紀行シリーズ』の解説もしていきたいと考えている。
『蒸発紀行』については、実はKindleで出版をしようとして執筆していたのだが、建物の正式名称やら細かな文章表現に詰まってしまって、さらにKindleの縦読み設定もややこしくていろいろと面倒くさくなってしまったのだ。(もうやめちまった。)
だから一旦その代わりにnoteで『画像アリの小説』として書けたらいいなと目論んでいる。本当に申し訳ない。赦してほしい。
そしていつか文章がまとまったら、改めてKindleでちゃんとした縦読み小説として出版したいと、惑星を眺めるような気持ちで考えている。
そして、ここでしか言えないことを記していきたい所存である。
すぐ堅っ苦しくなってしまうタチだ。
変な完璧主義は出さずに、できるだけ肩の力を抜いてラフにチルにメロウに綴っていきたいッピ。
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