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ときにはおこってもいいよ

怒りとはどこから来るのでしょうか?

ぼくは、怒りは“淋しさ”や“悲しさ”から来ていると思います。

はじめから相手を傷つけたくて怒っているんじゃなくて、

そこには解ってもらいたい“淋しさ”や“悲しさ”がある気がします。

つまり怒りとは、「大切にしてほしい」という心の表現のひとつだと。

その怒りを否定したり隠してしまうと、もっとその声は大きくなります。

大切なのは、心が叫んでいることに耳を傾けてあげること。

そして、その心を抱きしめてあげることではないでしょうか。

そうすれば、怒りはやがて必要なくなり世界はもっと丸くなる気がします。

怒りにすら光を当ててあげることで、もっと根本にある心を包みたい。

些細なすれ違いが社会の中で、もっと大きな怒りになってしまう前に。

そしてあなた自身が、ぼく自身が、もっと自分を大事にできるように。

新作の詩『ときにはおこってもいいよ』をお楽しみください。

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『ときにはおこってもいいよ』


怒りは捨てさるべきだ

怒りは自分をも むしばむから


それは分かっているけどね

やさしい君が怒るくらいだから

きっと大切なものを 踏みにじられたんだろう


我慢して、堪えて、耐えて、

それでも続いたときは

怒りだって表してもいいはずだ


なぜなら、人間にもともと備わっている感情

すべては意味があるから与えられている


ならばときには怒ってもいいよ

大切なものを守るために

自分をなくしてしまう、その前に


だけど相手を倒して打ち勝っても

結局は空しさが残るだけ 

やさしい君だから


怒りは、淋しさから生まれる  

怒りは、悲しさから生まれる

それも心の叫びのひとつだ


決して相手を傷つけるためじゃなくて

気づいてほしいと叫んでる心を守るため

ときには怒ってもいいよ

自分を失う前に


だけど、ほんとうは

怒りなんて必要ない未来を願ってる


そこにたどり着くまでは 

ぼくらはまだまだ未熟者の惑星

ときどき衝突もしながら

理解し合い、進歩するしかないみたいだ


無関心よりは

怒りのほうが

生きるエネルギーを持っている


でも、忘れないで


怒りよりも、感謝や愛そのものに

いつかなれるということを


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明日もあなたに良いことがありますように♪








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