ひかり(1)
「ひかり(1)」
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1985年1月(252号より)
生まれて六十日になったばかりの亜里子が、風邪をひいて今日で一週間になる。
かかりつけの医院で風邪薬をもらい飲ませはじめたが、はじめ軽かった咳がだんだんひどくなり、
一向におさまる気配がない。
朝起きて病院に電話をすると、すぐ連れて来るようにという。
医院は、大変な混みようだった。
幼児たちが待合室のなかを走ったり、歩きまわったりしている。
待っている間、亜里子は二度咳の発作におそわれた。
一度せき込むと、それが三十回くらい続くのである。
体をくねらせ、全身でせき込んでいる赤ん坊と、うろたえて背中をさすり続けている母親を、まわりの人達は異様なものを見るように見つめていた。
医者の前に出ると、私は赤ん坊の咳のとまらないこと、発作の激しさを訴えた。
「どうも百日咳のようやな。
紹介状書いたげるから、明日大学病院へ連れて行ってみてもらいなさい」
医者は、書類に眼を落としながら言った。
診察の時も亜里子は激しく咳き込み、
「これじゃ、かわいそうやな」
と、医者は一人ごとのように言った。
「良くなるには、どうしたらいいんでしょう」
「入院することやな。
最低十日間入院したら大丈夫やろ。
今日一日分の薬を出しとくから、明日大学病院で指示してもらってください、
薬ができるまで、別室で待っていて」
医者は、事務的に言いおえると、書類を書きはじめた。
「じゃ、こちらへ来て」
看護婦のあとに従って別室へ行った。
「助かる一番の近道は、どうしたらいいんですか」
「やっぱり入院することやね。入院したら助かるわね」
医者も看護婦も入院のことしか言わなかった。
症状は、よほど悪くなっているのだろう。
発作のおさまったあと、ぐったりと母に休をあずけている生後二ヶ月の亜里子の小さな体がいとおしく、
一寸先の間を持ちこたえられるのか、精神は落ち込んで行くばかりだった。
「ひかり(2)」へ続く
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1985年1月(252号より)
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