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正しい情報を出すにはコストがかかる

正しい情報はタダではないのですよ。

今日も一日ずっと編集作業をしていました。大変だったのは事実確認で、ひたすらエビデンスを探す作業をしていたのですが、正しい情報を出すのはものすごくコストがかかるな……と思ったのです。

その一方で、正しい情報を出してもそれが当たり前だと思われ、間違っていたらどんな恐ろしいことになるかわからないという……。コストをかけているわりには報われない。これは悲しい。しかし、報われないからといって手を抜くわけにもいかないのです。

世の中に文章を出すのは怖くて仕方がない

他のライターや編集者の方々はどう思っているかわかりませんが、世の中に文章などの作品を出すのが本当に怖いんです。このnoteだって怖くて怖くて。

となると、「じゃあ書かなきゃいいじゃん」という話になるんですが、「怖い」よりも「書きたい」のほうがほんの少し上回るから書いているんです。

なので、書いた本が出版されたり、記事がウェブサイトに掲載されたりすると、まず思うのは「怖い」ということ。「問い合わせとかがありませんように……」と神に祈ります。何の神かわかりませんが。「本が出て嬉しい!」と純粋に思ったのは、20年近く前、最初に手掛けた本が出版されたときだけです。

「できることがあったので、間違いがあったらそれは仕方ない」なんて考え方ができればいいんですが……。

あああああああ

もちろん、これまでに大量のコンテンツを作ってきたので、何の間違いもなく(間違いが見つかっていないだけかも)、何のクレームもなく世に出ているコンテンツはたくさんあるんですが、間違いがあったときのダメージが大きすぎるんですよね。

名前などの固有名詞、住所、電話番号は特にダメージが大きい。なので、わかっていても調べます。わかっていても調べるので、自分はここで大きなミスをした覚えはないのですが、旅館の宿泊費を間違って掲載してしまった人の話を聞くともう((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルです。

そういったところは最高レベルの危険度なので、そうそう間違うことはありません。でも、そういった細かいところばかり気にしてしまって、見出しとかタイトルを見落とすことがあるんですよね……。

これは未遂の話です。自分がライターとして原稿を書いているとき、本文をすべて書き終わってから見出しを書こうと思ってひとまず「あああああああ」としていたんですよね。しかし、本文を書き終わって力を使い果たしてしまったのか、見出しを「あああああああ」のままで編集担当に送ってしまったということがあります。編集者が気づかなかったらそのまま世に出ますよね……たぶん。

編集者の指摘で事なきを得ましたが、この編集者の指摘にはコストがかかっているのです。そして、スルーしていたらそこそこ大変なことになっていたのでしょう。正しい情報を出すにはコストがかかるのです。

「おいおい、このnoteの見出しも『あああああああ』になってるぞ!」と思った方、コストをかけてしまってすみませんでした。

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