実名で発信してよかったと思ったできごと

イーロン・マスクがTwitterを実名にするとかなんとかという話。あまりこのニュースの詳細を把握していないんだけど、昔から匿名(ペンネーム的なもの含む)アカウントによるツイートは気になっていた。

もちろん一部のアカウントだが、自分に向けて誹謗中傷的ツイートをする匿名アカウントもあったし、自分の写真を無断で使用する匿名アカウントもあった。その中には、とあるイベントで問題を起こした後にペンネームもアカウントも変え、その問題とは関係ないような振る舞いをするアカウントもあった。

そういったアカウントは、実名で発信すると実名での社会生活に悪影響を及ぼすので匿名アカウントにしていることが多いのだろう。事情はさまざまなので、匿名アカウントにするしないは好きにしたらいいと思うのだが、どちらにしても誹謗中傷的ツイートなどはやめてほしいと思う。

匿名だろうが実名だろうが、実名での社会生活でおかしいと思われることをツイートしたり行動に移したりしなければいいだけの話。

とはいいながらも、実際にはこういう危険性もあったりする。

なので、一概に実名にしたほうがいいとも言いにくい状況ではある。で、そんな状況で自分はずっと実名発信を続けているのだが、実名発信をしていてよかったと思う話をひとつ。

そもそも、自分が実名発信をしているのは、発言に責任を持たないといけないと思ったからだ。ペンネームも考えたこともあるが、実際の社会生活とアカウントが離れていると、適当な発信をしてしまいそうな気がするのだ。前述のアカウントではないが、最悪の場合、ペンネームを変えたり、削除したりすればいいか、と。

そういうことは嫌だったので実名発信をしていたのだが、実名発信をしていてよかったなと思うのは、意外と過去の知り合いが自分を発見してくれるということ。

もう何十年も連絡をとっていなかった高校の同級生が、記事で富江弘幸という名前を見つけて連絡をくれるとか。珍しい名字だからすぐ思い出せるのかもしれない。自分を発見して連絡をくれる人は、「富江弘幸」と検索してTwitterを発見し、DMで連絡をくれる場合が多い。

小学校のときの担任だったM先生からの連絡は、特に記憶に残っている。

2019年に2冊目の著書を出版した後、ラジオ出演の仕事が何本か入ったときがあった。TBSラジオの「たまむすび」に出演したときに、M先生がちょうどその放送を聴いていたという。

やはり珍しい名字なのでピンときたらしく、いろいろ調べた結果、やはり自分の教え子である富江弘幸らしいということで、自分の実家に連絡してわざわざ来てくれたそうなのだ(自分が小学生だった当時の連絡網かなにかをひっぱりだして調べてくれたのだろうか)。

その後、M先生の連絡先を聞いた母から連絡があり、自分からM先生に電話をしたのだが、会話の中でどんどんあの頃の記憶がよみがえってくるのが不思議だった。もう35年くらい前になるのに。

さらに話してみると、M先生と自分は出身大学・学部が同じだという。小学校のときには担任の先生がどんな大学を出ているかなんてまったく気にしなかったが、同じ大学・学部だと知ると、なんとなく親近感や軽い運命的な気持ちもわいてくる(先生に対して失礼かもしれないが…)。

M先生との電話は短いながらも長く感じた不思議な時間だった。電話の最後に、

「ずっと応援してますよ」

と言ってくれたのがとても心強く感じたものだった(その後いただいた手紙にも同じことが書いてあった)。

過去に自分と関わったことのある人が自分を発見してくれて、そして応援してくれるということを実感したことだけでも、実名発信をしてよかったと思っている。
それに加えて、これは自己満足かもしれないが、教え子の成長を少しでも見せられたのもよかったのでは、と。

世の中すべての人が発信したいと思っているわけでもなく、発見してもらいたいと思っているわけでもないので、これは特殊な例かもしれないが、自分に関わってくれた人と改めてつながれるのは、実名発信のメリットだと思っている。自分の行動の原動力になっていることは間違いない。


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