見出し画像

サヨナラ シャンパーニュ⑧

1993年7月22日木曜日午後3時
平日に有給をもらった鈴原慎司は
家に一番近いおもちゃ屋に向かって歩いていた。
近いといっても徒歩で15分はかかるが
嫁と子どもが車を使って、近くの映画館に
いってるため使えなかった。

都内の温度はスーツを着てるぶん、かなり暑く感じる。
それに比べて、平日の休みにラフな格好だったらそんなに夏の暑さを感じずにすむ。

向かっている店はおもちゃ屋といっても、かなり巨大な敷地面積を誇っており、それに応じておもちゃの数は数えれ切れないほどある。
娘の絵莉はここに連れて行くたびに大はしゃぎをして、決まってあれが欲しいこれが欲しいと駄々をこねる。
全てを買ってあげたい気持ちはあるが、妻の方針で簡単に子どもに物を買い与えないものとなっている。

お目当ての商品はというと、今や女子小学生の中で流行っているセーラームーンのグッズで手鏡のようなおもちゃだ。
絵莉はそのCMが流れるたびに絶対に欲しいと言っていた。
絵莉の誕生日は12月のクリスマスの二週間前ではあるが、こないだ持ってきた小学校の通知表があまりにも良かったので、妻の承諾を得て購入することにした。

公園には子どもたちが集まってサッカーをしていた。高学年だと思われる子供もいれば、幼稚園生ぐらいの子供も交じって遊んでいる。
その公園を抜けて、5分ぐらい歩いていると、道路にシルバーのワゴンが停まっており、20代後半の男性が警察官と何か言い争いをしている。
おそらく、スピード違反か一時停止の標識を無視したぐらいのことだろう。
にしても、その男はすごい剣幕で大きな声を張っている。警官もそれに負けじと丁寧だけれど強い口調で男と喋っていた。

子どもが近くにいるというのに、余裕のない大人の駄々は見るに堪えなかった。
そこから、5,6分歩いたところでようやく目的地にたどりついた。少しばかり、汗はかいていたので店内の空調はとても快適なものだった。
お目当ての商品の陳列場所はすぐにわかった。
やはり、女の子に人気なアニメだけあってそのコーナーは大きなポスターが飾ってあり、そこには絵莉と同じくらいの女の子がたくさんその商品を眺めていた。
その子供たちを横目に、慎司はセーラームーンの手鏡の箱を取った。いい買い物をする時のレジに並ぶワクワク感は子供とは変わらないものだろう。

おもちゃ屋をあとにして、慎司はカラフルなレジ袋を満足気に持っていた。絵莉が帰った時におもちゃに気づいた時の笑顔を想像するとこっちも笑みがこぼれる。

ふと、通りがかった公園の時計を見ると4時半になっていた。帰っていくだろう子供たちが明日もここに集合といって手を振っていた。

しばらく、歩いているとサッカーボールを持った4,5歳くらいの男の子が慎司を走り越していった。信号もない道路にいくと、おもちゃ屋に行く前に見たシルバーの車が猛スピードではしっている。
その男の子は道路を走りかけていた。あのスピードの車だと男の子が轢かれてしまうと思った慎司は危ないと叫んだと同時にレジ袋を地面に落として、男の子の方に駆け寄った。
慎司は走ってその子を突き飛ばした直後に急ブレーキを踏んだシルバーのワゴンが衝突した。

何が起こったかわからない子供は震えていた。
慎司は最後の力を振り絞りその子供に向かって
逃げろと大声でいった。その子は涙目でその場から走っていた。
シルバーのワゴンから男が降り、慎司の方に向かって辺りを見渡して、さっきの子供を探していた。慎司はかすれた声で「早くこの場から去らないと聞きつけた住民が君のことを目撃するぞ、それとも119でもかけてくれるのか?」

その男はチェッと舌打ちをした後、車に乗り込み走って去っていた。
慎司は「本当に救いようがないやつだ」と言い、心の中でこうつぶやいた。
「翔子、絵莉ごめんな家には帰れなくなってしまった。」慎司の視界はどんどん暗くなり、その先には絵莉のために買ったおもちゃの手鏡の箱があった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?