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【朝読書】「ふるさと」について考えてみる

前回からひさしぶりに読んでいる本があります。
それは、"ぜんぶ、すてれば"という本です。

その中で考えたくなった文章がありました。

日本人がなかなか捨てきれないものの一つに、「ふるさと」があります。 生まれた土地とそこに紐づいた地縁。 「跡取り」として土地や家を受け継ぐプレッシャーに悩んでいる人も少なくないでしょう。 とらわれる必要はない、と僕は思います。 そもそも〝土着〟という考え方がなぜ生まれたのか。 歴史を紐解くと、それが時の為政者の施策でしかなかったことがわかります。 例えば、江戸時代の徳川幕府による土地政策。 各地の生産性を維持し、江戸への必要外の流入を防ぐために土地を与え、 寺などに地域の分所的役割を作ったのです。 個人が土地にこだわるようになったきっかけは、 人の管理と生産管理の一環でしかなかったのかもしれません。 「そんなものか」と思いませんか。

"ぜんぶ、すてれば"より

「ふるさとってなんだろう?」

「その土地に居続けることで得られるものってなんだろう?」

「その土地から出ることで得られるものってなんだろう?」

もちろん、本気でその土地が好きで好きでたまらない。
そこの地域が一番気に入っている。

なんて人もいると思います。

僕自身は、かなりの田舎で育ちました。
最寄駅は、徒歩約90分。

一つ山を越えないといけないので、時間がかかります。

その土地が好きかどうかと言われると、めちゃくちゃ好きっていうわけではありません。

田舎あるあるの排他的な空気。
小学校や中学校の頃の同級生の家は大体みんなわかっているし、みんなの親も見たことあるような感じです。

そんな場所でも自然豊かなので良いところもあります。

ただ、これは僕の性格かもしれませんが、どうしてもそこから抜け出したくて出ました。
何か狭い地域で、狭い場所に縛りつけられているような感じがあったからです。

ただ、子どもができてからは年に何回か帰るようになりましたが、僕自身が思っている「ふるさと」ではなくなっています。

そもそもその実家にいない時に思い出す「ふるさと」はかなり美化されたものだと実感しました。

小学校は廃校で、解体され、家の近くには多くの太陽光パネルが設置されまくり、環境破壊まっしぐらでもあるからです。

このことから思うことは、「ふるさと」は思い出の中にあり、その「ふるさと」自体もどんどん変化して変わっているということです。

つまり、そもそも自分が思う「ふるさと」はもうすでに現実にはないということです。


以上から僕が考え出した質問とその答えはこうです。

「ふるさとってなんだろう?」

  • 「ふるさとってなんだろう?」
    自分が育った土地での思い出

  • 「その土地に居続けることで得られるものってなんだろう?」
    その土地の日々の変化を感じれること

  • 「その土地から出ることで得られるものってなんだろう?」
    自分がまだ知らない世界と人との出会い

ここからわかるように、やはり「ふるさと」から出た方が得られるものが多いという答えに行き着きました。

他の人は「ふるさと」についてどう考えるのかも知りたくなったので、次からは会う人に色々聞いてみたいと思います。

以上、今日はここまでです。

読んでいただいた方はありがとうございます。

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