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トイレの花子さんを覚えている?

1900年後半から2000年初頭にかけてはホラーブームだった(気がする)
テレビ番組もこぞって心霊番組だの、恐怖体験だの、UFOだの。
オカルト的な内容がテレビでばんばん放映されていた時代。
子供たちの間でも脈々と語り継がれてきたトイレの花子さん。
もちろん自身が小学生の頃もが学校の七不思議のひとつとして、花子さんの噂はたえなかった。
トイレの奥から3番目の個室をノックして「はーなこさん」と呼びかけると「はあい。」と声がするというもの。
そのあとは、手が伸びてきてトイレに引きずり込まれてしまう、
一緒に遊ばないと殺されてしまう等、バリエーション豊かな噂だった。

是非、花子さんにお会いしたい。

オカルト番組や心霊番組好きな数名が、かの有名な花子さんを呼ぶために
女子数名で放課後のトイレで集まったことがあった。
型どおり上記のような儀式を済ませ、皆で呼びかけてみたのだが、その日花子さんの返事を聞くことは無かった。
私達はがっかりしながらも「今日は都合が悪い日だったのかも」等と勝手な解釈の元、また後日、何度も何度も花子さんを呼びに行った。

あれから20数年が経った。
怖い話は未だに大好きな私は、暇さえあれば怖い話を読み漁る。
怖い体験をしたいとは思わない。安全な場所で怖い話を読む事が好きなのだ。
怖い話を読むという事は、私にとっては手っ取り早く現実逃避できる瞬間だと思う。
何かの感情に支配され尚且つ集中できる瞬間、人間は今自分が置かれている状況から頭の中だけ直ぐに現実逃避が出来ると思っている。
それが映画を見る事で達成される人もいるだろう。音楽を聴くことで、または本を読むことで・・・
私はそれが怖い話というだけだと思う。
怖い!という感情が起きる瞬間は、少なくともそれだけだ。その感情に支配された後に、その話の可能性をゆっくりと頭の中で巡らせる時間もまた至福の時なのである。
感動!悲しい!怒る!感情に支配されると、とても疲れる。
ただ不思議と私は、怖いという感情に疲れは無い。無になれる。
ただ最近はだんだんと不感症になってきていると実感してしまう。
大人になって様々な経験をしてきた上で、本当の恐怖は生きている人間の悪意そのものだと思う場面に遭遇してきた。
怖い違いだが、恐怖はトイレでもなく井戸でもなく、案外身近だったのだ。

それでも怖い話は、私の中では楽しめる大事なエンターテイメントの一つだ。

幽霊という存在を肯定しているわけではない。別に否定もしない。
私にとってはどちらでもよい、むしろ居ないと思っている方なのだが
幽霊や心霊現象、怖い噂というものには、何かしらの背景がある。
そこがまた面白いところである。

脱線したが、物事には必ず由来があると私は思っている。

映画リングの公開後、怖い話の中にたびたび「白いワンピースを着た髪の長い女」の幽霊が度々登場してくる事に気づいた。
日本人の共通認識としていまや「貞子」が幽霊代表になったのだろうか。
リング公開から23年が経った今、リングを見たことのない世代もいる中で
白いワンピースのロングヘアの女の幽霊はいまだに怖い話界隈でひっぱりだこの売れっ子幽霊である。

そんな中でふと。白いブラウスに赤いスカートを履いた小さな女の子の幽霊の事を思う。
オカルトブームが去った今、彼女は今もこどもたちの間で噂されているのだろうか?

手あたり次第に身近な子供たちに聞いてみたところ、まだ花子さんはわずかに認知されていることがわかった。
だいぶ影がうすくなってはいるが、なるほど、まだ学校にいるのか。

数年前に大学生と話をしたい際に、口裂け女を知らないという話でカルチャーショックを受けた事があった。
口裂け女が幽霊だったか、妖怪だったか、実在人物だったかはわからないけれど、
その流れで花子さんも「知らなーい。」と言われるのではないかと心の準備をしていたたのだが、「知ってる」との事。やはり花子先輩は強かった。
口裂け女は今頃、耳まで避けた口でハンカチを噛んで悔しがっている事だろう。知らんけど。

さて、その花子先輩だが、きっと由来があるはずだと思う。
私の中の花子さんのイメージは、先ほども記述した通り白いブラウスに赤いプリーツスカートを着ているおかっぱ頭の少女だ。
地域によって、さまざまな噂があるようだが、とりあえず少女という事だけは共通しているようだ。トイレの花太郎君ではないらしい。

そもそもなぜ花子さんは、教室でもなく、保健室でもなく、家庭科室でもなく、暗くて狭いトイレにいるのだろうか。
いじめにあい、閉じ込められて・・・なんて悲しいバックストーリーでもあったのだろうか。
はたまた、お腹が弱い子だったとか・・・

早速「トイレの花子」さんと検索をかけてみる。
そして非常に興味深いものを見つけた。
民間信仰との関係だ。

「日本では江戸時代から昭和初期にかけて厠神(トイレの)の信仰が盛んで、赤や白の女子の人形や、美しい花飾りを便所に供えることで厠神が祀られていた。戦後において厠神の信仰が廃れた後も、トイレに造花が飾られていることが多いのは、こうした風習の名残とみられている。トイレの花子さんの服が赤や白であること、名前が「花子」であるのは、こういった風習に由来するとの説もある。」Wikipediaより

赤や白の女子の人形、美しい花飾りを祀る。
ぜんぜん胃腸の弱い子供じゃないぞ、予想斜め上の展開。
あくまで一つの説ではあるが、白いブラウスに赤いスカートを履いたイメージにしっくりくるものがある。
確かに小学校のトイレには花壇で育てた花を飾ったり、場所によっては造花の花が飾られているのを見るが、あれはインテリアではなかったのか。

もうすこし民間信仰について調べてみると、5世紀ごろから中国では厠神として祀られており、かなり古い由来であることがわかった。
こちらの話はトイレで殺された美人のかわいそうな女性が神様になる話だが、
日本では男女1対の土人形を祀ったり、便壺の下に紙人形を埋めるなど地域によってさまざまな信仰があるということもわかった。
ここでは紹介できない程の種類があり、いつか流行った「トイレの神様」という歌の歌詞のように、女子がトイレを掃除すると美人になるの由来であろう、妊婦がトイレを掃除すると美しい赤子に恵まれる、赤子が生まれて七日後に 産婆が赤子を抱いて厠に参ると美人になるなど、子供との関係も深そうである。

調べて行けばいくほど、トイレという場所で行う儀式や、さまざまな神様が
神事や習俗があることがわかる。

さて、花子さんだが、突如子供たちを驚かしに現れた存在ではなく、もともと上記のような風習が形を変えて学校のトイレに現れたようだ。
1950年代からすでに花子さんの噂はあったようで、今から約70年前。
そのころの学校は水栓トイレも整備されているはずもなく、汲み取り式のいわゆるボットン便所だったに違いない。
ボットン便所に関する事故報告は数知れない。ましてやこどもたちが集まるトイレでも少なからず、衛生面の問題や、落下事故等、何かしらの事故があっていたはずだ。

ここからは私の完全な想像になって申し訳ないのだが、
厠神の信仰も今よりまだ盛んだったはずだ。それに絡めて子供たちにわかりやすく、危険を察知してもらうために、トイレでふざけてはいけないよ?花子さんに連れていかれるよ?などと、子供たちにより身近な「花子さん」という畏怖の対象として、啓発的なものから生まれたのではないかと思う。
そう考えると水洗トイレに変わった今も、脈々と語り継がれ、ところどころ変化しながらも、ずっと子供たちを危険から遠ざけてきた花子さんはある意味トイレの守り神であり、しっかりと役割を果たしてきたのだろう。

近年の学校のトイレは水洗式になり、明るく衛生的で、昔のような暗く怖い場所では無くなった。
何なら蓋は自動開閉し、センサーで感知され勝手に水が流れる。その際に洗浄まで自動でしてくれる機能付き。
乙姫もバージョンアップし、快適空間を演出してくれる。
花子さんも、トイレの進化には目を見張るものがあっただろう。
そう、子供たちは、安全にトイレを利用できるようになったのだ。
花子さんの認知度が低くなったのには、ホラーブームの終結という時代背景もあると思うが、もし上記なような理由で花子さんが生まれたのであれば
トイレの花子さんの役割は近々終わる日が来るのかもしれないと思う。

ほんと、全国の学校のトイレで長年頑張ってきてくれた花子さんに、お疲れ様と。個人的にはもうトイレから出てきてどうぞ好きな場所でゆっくりしてくれと言いたいと思う。



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