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[暮らしっ句]夏の旅[俳句鑑賞]

 若き日々 甦りたる初夏の旅  稲畑汀子

 若い頃によく行った場所で、ずっと行ってなかった場所、そんなところに足を踏み入れれば、なつかしいという以上に、あの頃に戻ったような気になります。
 この作品の場合は、必ずしも同じ場所ではなかったかもしれませんが、初夏の気候・気分がタイムマシーンの働きをしてくれた。
 秋でも冬でもそういうことは起こりえるわけですが、初夏の時期はその作用が特別に強い。
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 逝く夏の 旅装は うすき風ごろも  小澤克己

 夏の旅が特別な理由の一つは服装ですね。薄着だと何んといっても解放感があります。木立から吹く風のちょっとした冷気が、それだけでうれしい。
 もし仮に、猿から人への進化が本当だったとしたら、その動機は「風流」だったりするかも。風を感じるために体毛を脱ぎ、背筋を伸ばした。
 原始人って、ゴリラのような姿勢で描かれがちですが、実は、着流しスタイルだったりして。流行りの言葉で云えば「無課金おじさん」!

 特急に幾度越されし 夏の旅  横内かよこ

 作者の選んだ「夏の旅」は、めぼしい観光地などない各停の旅…。しかし、たったそれだけの記述で、小さな駅のホーム、田園風景、鄙びた町、山並みなんかが目に浮かびます。そういう何もないような空間、時間を愉しめるというのも、若さの特権ですね。年取れば、夏でも冬でもじっとしているだけで消耗しますから。
 そうそう、脳科学的に云えば、何もないところに出かけて愉しめるのは、「期待」が出来る人だそうです。ごちそうだって、感激のピークは食べてる途中じゃなくて食べ始め、直前だそうです。経験値が豊かになっても、それを「期待しない」ほうに働かせると、それは損ですね。
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 身軽さの 少し淋しき夏の旅  田中藤穂

 これが年齢というものでしょうか。大人、親、仕事、幾つもの責任を担って生きる時間が長くなると、かえって自由に物足りなさを感じてしまう。
 ただ、時期の問題も大きいかと思います。初夏なら、年寄りでもわくわく感が勝る。お盆近くになるといけません。日射しより影に同調してしまう。
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 亡き夫に背を押され出づ 夏の旅  家塚洋子
 鞄には小さき遺影 夏の旅  陶山泰子

 夏も終わりに近づくと失恋の歌が定番になってきますが、こちらは死別。
 上の句は、想像するに、夫の闘病生活が長く、作者はその間、不自由な暮らしが続いたのでしょう。ただ、ご本人が「さあ、好きなことをやるぞ!」と思ったわけではなく「亡き夫に背を押され」とありますから、「病気が治ったらまた一緒に旅行しよう」とか「オレが死んだら、好きなだけ旅行を愉しんでこい」とか。そんなやりとりがあったのでしょう。夫との時間の延長線上の行動。心は二人のまま。
 下の句の場合は、夫が亡くなってから時間が経過しているようです。もう夫の余韻はない。だから遺影を持ち歩く必要があるし、おそらく返事をしてくれない夫に語りかけながらの旅。
 でもね、そうやって亡き夫との距離が、どんどん離れていっても、その思いが途切れなければ、最期はまた一緒。死別ではじまりし旅の終点は再会。

 手のひらにおさまる手帳 夏の旅  細川知子

 旅の前に詠んだ句でしょうか? それとも帰ってきてからの句?
 作品の中には示されていませんが、後者でしょうね。手帳が小さいという話は、たくさんの出来事、楽しんできたことの裏返しの表現。
 小さな手帳はいわば入口。あるいは、魔法のアルバムの扉。
 魔法のアルバムというのはね、記録だけじゃないんですよ。プログラムのコードも保存されている。「あの頃ゲーム」をプレイすることができる! 

 何云ってるか、わからない?

 それはあなたがまだ若いからです。長く生きていると、何十年も前の事を思い出しても再発見がある、違うストーリーが浮かび上がってくる、過去は全然、死んでませんから!


出典 俳誌のサロン 
歳時記 夏の旅
ttp://www.haisi.com/saijiki/natunotabi.htm

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