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[暮らしっ句]冬木立[俳句鑑賞]

 冬木立 日中をしんと美術館  水野節子

 思い出されたのは昔の西宮大谷記念美術館。古くて落ち着いた佇まいの洋館(和洋折衷?)で、戦前の青年画家の絵にとてもよく似合ってました。青木繁の「わだつみ…」とか、もうその場を離れ難かったくらい。額縁の中が作品じゃないんですよ。室内、建物もひっくるめて世界があった。

 句と関係のないことを云ったようですが、
 強弁すれば、美術館に展示されている作品たちはすっかり落葉した「冬木立」のようなものかもしれません。作者とも当時の世の中とも切り離されているからです。その意味では作品はミイラ? 美術館という神殿の中で、目覚めの時を待っている。
 訪れた人が感動する時、作品は息を吹き返すんです。共感してくれた人の心に転生する。この句には、そんなオカルト的な視線もありそう。

※「わだつみのいろこの宮」…… 所有はブリヂストン美術館(現:アーティゾン美術館)ですが、検索したらその年、確かに来ていました。
 青木繁の作品を見ていると、あの頃の日本には、まだまっすぐな視線があったとしみじみしてしまいます。日中戦争や大東亜戦争が正義の戦いだったとは思いませんし愛国心が利用された部分が相当あったと思っていますが、ひたむきな人も愛すべき人もたくさんいた。
 石橋さん(ブリジストンの創業者)は青木繁を後世に伝えるために近代美術のコレクションをはじめたそうですが、その背景には美術をはるかに超えた愛国心があったのかもと思いたくなります。まあ、世界企業の創業者ですので、そんな単純な話ではなさそうですが。
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 目が何か言いたげな別れ 冬木立  倉本美代子
 口癖が「別に」の彼と 冬木立  津田このみ

「目が何か言いたげな別れ」…… 言葉がないことで二人の間の隙間が示唆されているわけですが、後の句では逆です。言葉は発せられている。しかしその言葉は二人が結んできた絆の束にチョキ、チョキとハサミを入れるような言葉。前の句が別れの予感なら後の句は別れの確認段階。もはや危機的。
 しかし、ここでこう問われているような気がしました。

 どうしようもないから考えない、それでいいの?

 極論すれば、今日、世界を行き詰まらせているのは、そんな合理主義かもしれません。だとしたら、そこをしっかり見ていくことが必要。どうしようもないことを見る術を学ばないといけない。「詩」にはそういう効用もあるんじゃないでしょうか。どうすればいいのかとハウツー的な思考に誘うんじゃなく、ただ向き合わせてくれる。ただ共感させてくれる。
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 影たちの寄り添う仕種 冬木立  わたなべじゅんこ

 夏の木陰はひとかたまり。木と木が寄り添っているようには見えません。でも枝ばかりになった木の陰は、手を繋いでいるようにも寄り添っているようにも見えた…… あまり擬人化するのもなんですが、辛い時期、何もかも失ってはじめて気づく関係や感謝もある。それも「おかげさま」。
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 抜けられる孤独ならいい 冬木立  松永典子

 一時的な孤独なら我慢できる…… そう云われたら、それはそうよね、と思ってしまいます。でも、考えてみれば、先が見えないひとり感が「孤独」。「一時的」とわかっているひとり時間なら息抜きです。
 作者が通り掛かった並木道は、少し長かったけれども歩き通せないほどの長さではなかったのでしょう。だから「先が見える程度のことなら、たいしたことない」と思った。それに比べると、自分(作者)が経験している「孤独」には先が見えない…… その気づきを句にしたのだと思います。
 ところが、句にした途端にブレークスルーが起きた。

「果てがないと思っていたわたしの孤独も、もしかしたら、この並木道のように、抜けられるかもしれない……」
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 冬木立透け 陽光の眩しけり  飯田政子

 身も蓋もない云い方をすると、曇り空の「冬木立」はいかにも淋しい。ところが日が射すと、どんな季節よりも明るく鮮やかで清々しかったりする。
 冬の季節は曇りの時間帯が圧倒的に多いわけですが、つかの間の晴れ間に気づけるかどうか。もし光が目に入ったら、それはトンネルの出口!
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出典 俳誌のサロン 歳時記 冬木立 
冬木立

ttp://www.haisi.com/saijiki/huyukodati1.htm

一年間、どうもありがとうございました。
よいお年を!


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