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つ ち の く も

古代史の記事をたどっていて
見かけた人

不自由な身体で 単独で
古代、伝説の土地をめぐってられる

探索の地は
少女漫画に描かれるような
ロマンスの聖地などではない

神武の東征の頃
そこにいて滅ぼされた者たち…

こちらの知識が乏しいので
内容はよくわからないが

たとえば こんな一節があった

大きな滝ほど
写真に撮とれば 小さい

現地を訪ねる意味を
そんな言葉でつづっておられた

しかし、半分はリクツだ
リクツで云えば
出かけるべきではない理由のほうが
ずっと たくさんある

そもそも危険ではないか
男でも見知らぬ山はハードルが高い

地図にある道が
すっかり藪に覆われていた
土砂が崩れていた なんてことは
ザラにあるはずだ

現地に行かねば という思いは
尋常ではない


その人の足が不自由なのも
偶然ではないのかもしれない

この世が 実は幻影であって
我々は、本当の世界を忘れている
という話があるが

その人の足は あるいは、
戦いによるもので
這ってでも
行かねばならぬ事情があったか

神武の東征なんて いつの話だ?

実際には、千七百年くらい前のことだったとして
その間 ずっと探し続けてきたのだろうか

仏教的に云えば
妄執であり 修羅の道だが
そんなことをしても苦しいだけだ とは
とても云えまい
苦など覚悟の上のことなのだから

おそらく いやきっと
その人は 目的地にたどり着く
なぜなら 決してあきらめないから


その時、世界はどうなるのだろう


この世界が幻影なら
その人は本当の世界で
夢から覚めるのだろうか

そしてそこには…

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