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以下の記事に追加、修正をしました。

○[幻聴ラヂヲ]オダチャイルド[短編]

 記事に、写真へのリンクを追加しました。
 信長の写実的な画像と幕末の外国商人の息子の肖像写真がそっくりだということが発端の記事ですので、それを掲載しなかったのはいかにも不親切でした。

織田信長公
https://ameblo.jp/eco-rakuiti/image-11977020928-13189087475.html

外国商人の息子
http://stat.ameba.jp/user_images/20090525/17/marine-16/29/8f/j/o0800096810186329036.jpg

○[暮らしっ句] 虫売り2[俳句鑑賞]

 最後の句へのコメントを以下のように改めました。

 虫売りの 去りたる後に 虫の声  葛西茂美

 虫はまだ居た! 虫売りから逃げ出した虫なのか、それとも虫売りがそっと遺していった虫なのか、あるいは、そのへんの草むらにいた虫が商品の虫に引き寄せられて来たものか…… 最初はそんなことを思ったのですが、日を置いて考え直してみると、「虫の声」は心理的なものではないかと思えてきました。そこに虫がいたわけではなく気配が残っていたと。その時、思い出されたのが、芭蕉の「古池や……」の句。
「かわず飛び込む水の音」というのも、実は音が消えた後の余韻を表しているのではないか。「ポチャン」はいわばプロローグ。その後を芭蕉は作品化しようとしたのではないかと思えてきたのです。
 蛙の鳴き声を描かずに飛び込んだ音を表現したところがスゴイという解説が多いですが、あの句を鑑賞している間中、「ポチャン」「ポチャン」「ポチャン」「ポチャン」「ポチャン」と音がリピートしますか? そんなことはないですよね。「ポチャン」は最初の一回。後はずっと余韻「…………」です。10分鑑賞しても1時間鑑賞してもそこにあるのは「…………」だけ。
 俳句というのはそもそも連歌の発句。それが独立したと云われていますが、連歌から独立したのではなく、後を捨象したのではないでしょうか。発句の続きは鑑賞する人が各々自分の中でイメージしてくれと。そういう連歌の発展型(ミニマル化)が俳句だったのではないか。
 ちなみに、日本人なら誰もが知っている俳句のもう一つは子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」です。奇しくもあの作品も余韻なんですよね。あの句を鑑賞している間中、「ゴーン」「ゴーン」「ゴーン」と音を聴いてる人はいないわけで、やはり余韻の「…………」を聴いている。
 余韻を使うことによって、作品の時間を引き延ばしつつ、作品世界と現実の融合を図っているのでしょう。

「虫売りの 去りたる後に 虫の声」も、いわばその系譜。同じワザを使ってる。ワザと云いましたが、もしかしたらそれは「呪」のような魔術的なものかも知れません。
 その場限りの作用ではなく、感染させるような感じ。ウイルスが遺伝子を書き換えるようなもの。病原性でなければ、その時は大きな異常は起こりません。しかし、感染していれば、何年もしてから発症したりする。
 これ以上云うと、作品から離れていきそうなのでこのへんにしたいと思いますが、最後に予告編?を少々。

 芭蕉の「古池や……」の句と子規の「柿食えば……」の句は、もしかしたらつながっているのかもしれませんよ! 怪しい点に気づいたので、これから調査を開始したいと思います~ 結構壮大 子規はふれてはいけない法隆寺の名を出し、芭蕉は肝心の名前を隠してカムフラージュした…… でも、その名前も子規は別の句で出しているという。子規の行為は無意識っぽいですが、それだけにこわい。俳句ウイルスが子規の遺伝子を書き換えていた!?


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