[小説]追加分「世界観」格差3/4

 第三の世界観の持ち主を、かなり矮小化して語ってしまいました。
 実際には、第三の世界観の持ち主にも魅力的な人、幸せに生きている人はいます。そのことの補足。以下の内容は、あとで、「世界観」格差3/4に統合します。

 第三の世界観の持ち主でも、上手くやってる人たちはいる。共通点を考えると、以下のようなことが思い浮かんだ。

 人に好かれる性格。
 能力に余裕がある。無理なくこなせる仕事に就いている。
 競争の少ない自分ならではの特技があり、生かしている。
 自分のことを過剰に考えない。困っている人のことや社会問題を日常的に 考えている。

 ネットで屈折せずに、自分の言葉、自分の立場で、正論や前向きなことを語っている人には、上記のような人が多い。
 そういう人たちが第三の世界観で生きると、ちょうどよさそうだ。

反対に、
 嫌われやすい性格で、仕事は交換可能な標準化された仕事。能力的にはノルマをこなすのも厳しい。頭の中は自分中心で悲観的、進路を見失っている…… となると、最悪っぽい。要するに、オレのことだが。
 それだと、第三の世界観で溺れているようなものだ。そんなことなら、下位の世界観で周囲の人たちと同じように生きる方が、悩みは少ないかも知れない。

 第三の世界観で生きる人には、その両極があると思う。数的には、うまくやってる人は少数。でも、輝いている。魅力的。反対の極にいる者は、悪くないけど、さえない。周囲からバカにされがち。

 一方、うまくやっている人たちにも問題がないわけではない。一番の問題は、誰だってその気になれば、自分たちのようになれると、そう他者に呼びかけてしまうことだろう。
 例を挙げれば、伝統工芸の作家と職人。
 そりゃあ、作家としてやっていければいい。しかし、並みの職人が多少、発想を変えても作家になどなれはしない。そこには大きな飛躍が必要だ。それは云い方を変えれば、そこに大きな溝があるようなもので、飛び損ねれば転落する。
 職人をやめて、作家になろうとして成り損ねれば悲惨だ。おいそれとは元の職場や下請けには戻れないし、戻れたとして、一生、頭が上がらなくなる。そう、オレのことだ。
 後悔はしていないが、周囲の者からすれば、分不相応な夢を見て転落したと。まあ、そういうことになるわけだ。それに対して、そうじゃないとは、オレは云えない。少なくとも経済的には、云われたことをやってたほうが確実だった。
 第三の世界観で生きるのは、うまくいけばカッコいいし、それこそ人間本来のあり方だとも思えるが、それが出来るのは少数だ。つまり、大衆が目指すべき現実的なモデルではない。今さら、自然の中で生きていける犬はごく一部なのだ。
 作家がふりまく夢の中には、毒がある。作家に憧れ、作品を買って愉しむ分にはいいが、生き方を真似ようとすると危険なことになる。
 第三の世界観には、そういうところがある。

 そう考えると、第三の世界観というのは、凡庸な者にとっては、割が合わないだけでなく、身を持ち崩しかねない危険性もありそうだ。たとえば、親の立場であれば子どもに対して、下位の世界観で周囲と同じように無難に生きて欲しいと思ってしまうかも知れない。仮に、戦争になればなったで、仕方がないと。そんなこと庶民の考えることじゃないと。

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