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[ReliveArt]ミロ・ドライブ!

AIでアーティスト風の作品を生成して
その気分を多少なりとも追体験しようというコーナー
今回は「ミロ」ですが、その人より、
「ミロ」の存在について考えさせられました。

◇ ◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇

「ちょうどいい」というコピーがありますが、わたしにとってのミロの作品はそんなイメージでした。ちょっと洒落たアートっぽい装飾。

 登場した時にはかなり斬新で革命的で、だからこそ歴史に名前が刻まれています。が、そう云われても実感がわかないというのが正直なところ。フォーヴィズムのように荒々しいわけではないし、ダリのようにこの世界を溶かしたりもしない。少し後に出てくる無機質な抽象画ともちがう。マティスの作品のほうが具象に近いのに、マティスのほうが考えさせられてしまう。
「ピカソ」という言葉がいまだに(ちょっと前まで?)藝術の代名詞なわけですが、アートのアイコンになる画像を一点選べと云われたら、わたしなら「ミロ」を選ぶでしょう。モナリザは古典的過ぎるし、セザンヌでも現代アートからは遠い。「ピカソ」だと「ピカソ」でしかない~
「ピカソ」については、わからない絵の代名詞だったこともありますが、「ミロ」について、わからないとボヤく人はあまりいないように思います。わかりやすいのではなく、わかろうと思わないから。
 芸術作品を鑑賞するに際「感じればいいんだ」というアドバイスがありますが、「ミロ」作品の前では云われなくてもそうなる。

 じゃあ、デザイン的か? そこがポイントになると思うのですが、そういう傾向は強いと思います。生成AIを使っても、頭が痛くなるほど似た絵が出てきますから。つまり、こういうことが云えるのではないかと。
 ミロの独創性は出たときは画期的だったが真似のしやすいもの。つまり、アイデア的だと……。

 AIにこの話をぶつけてみたところ、帰ってきた応えは
「しかし、ミロの作品にはオリジナリティがあり、模倣作品は新たな何かが加えられていない限りは模倣でしかありません」

 そこで意地悪してこう言い返してみました。
「アートシーンに無縁の人が、ミロ風のイラストを見て感動した場合、その人にとってのオリジナルはそっちでしょう。何年後かに、本物を見る機会があっても、そっちが模倣に感じられると思います」

 それに対してAIは
「人間の認識や認識は、最初に経験した情報や印象に大きく影響を受けます。これは「インプリンティング」または「最初の印象」の原理と言われます……」と、そういう作用があることを認めてくれたわけですが、これが実に示唆深い。

 というのも、今後、さまざまなシーンでAIから情報を得ると、AIが本物と感じられるケースが増えてくるに違いないからです。ヒヨコが、生まれて最初に見る動くものを親だと思い込むのと同じです。人間の先生よりもクラスメートよりもAIに親近感を抱く子供が出てくる可能性はかなり高い。

「ミロ」の話に戻ります。ミロの成果は、その意味ではアルゴリズムを作ったことにあるといえるかもしれません。ちょっと絵心のある人なら、その原理(パターンとかスタイルというと矮小化し過ぎですので)が理解できるし、その原理を使えば、AIでなくても「ミロ風の絵」のバリエーションは容易に描ける。
 したがって、職人的な価値観からすれば、ミロの評価は高くなりません。しかし、理論家としてみれば、かなりの業績。

 そして時代は今、そのような人材、活動を求めているのかも……

 以上、「ミロ風イメージ」を生成しながら思ったつれづれでした。

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