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[暮らしっ句] 虫売り1 [俳句鑑賞]

 虫売の 檜笠のにほふ 雨上り  児島千枝
 虫売りや 日暮の街の 濡れてをり  辻兎夢
 深川や 虫売り 屋台担ぎくる  池内けい吾

「檜笠のにほふ雨上り」……わたしは意識したことがありませんでしたが、そういうものがあるようです。時刻は夕暮れ。
 そんな時に、やってくるようですよ。ひたひたと虫売りが……
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 境内の外に 虫売り 荷を下ろす  竹内弘子
 虫売や 虫より低く 身をかがめ  辻直美
 虫売の 籠を並べて 無言なり  松本文一郎

 ライブ中継のような描写が続きますが、この場面、一般人は通りがかっても気に止めないと思います。俳人だけが注視している。その視線も結構、コワかったりして。
「虫売の……無言」 たいていの商売には呼び声が欠かせませんが、虫売りの場合、主役は「虫の音」。人間の声は邪魔。ただ、この句の感じだと、虫たちもしばらくは移動の疲れで声が出ないのかもしれませんね。人も無言、虫も虫の息…… ただ、幕が上がる前の緊張のはじまりが感じられます。リラックスした感じではないですね。
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 虫売りの すこうし暗き夜店かな  田中藤穂
 虫売の 虫売らしく座りゐる  大串章

 虫が盛んに鳴き出すまでは、店や虫売りに目が行くわけです。
 音がしないと、暗い店だな、とか思う。
「虫売の虫売らしく座りゐる」、これなんて差別発言っぽい。虫売りを同じ人間とは見ていないようなキワドイ表現なわけですが、意図はわかります。おそらく世間の視線を代弁しての表現。社会規範なら、かくあるべき、ですが、文学には現実を赤裸々に描くという役割もある。
「虫売らしく」…… 具体的にはどんな姿だっんでしょう。背筋は曲がってそう。表情も陰気か無表情で、ひと言で云えば気配を消す感じ。商売人なのに人目を避けるようにしている。でも、俳人はそれを見逃さない!
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 虫売りの 趣向の籠で 客呼べり  星佳子

「趣向の籠」というのは、その店の看板スターの虫がいる籠なんでしょう。中身もさることながら、籠も本物の竹細工製だったりして。
 そういうのはね、たぶん最初は隠しておくんですよ。真打ちですからね。客が集まり、ボルテージが上がった頃合いを見計らって、おもむろに中央に出してくる。演出です~
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 虫売の 霧吹きかけて 鳴かす術  稲畑廣太郎

 演出はさらに続きます。今度は虫売りのパフォーマンス。
 あの影の薄かった虫売りが立ち上がり、サーカスの猛獣使いがムチをふるうように「霧吹き」一つで、虫たちの合唱を指揮する。やりますねえ~
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 耳二つ貸し出されあり 虫売りの  朱間繭生

 これ意味わかります? わたしはちょっと時間がかかりました。
 たぶんこういうことです。今はどうか知りませんが、昔は試聴できるレコード屋がありました。ヘッドホンを貸してくれるんです。おそらくそのイメージ。もちろん現実には自分の耳で聴いてるわけですが、普段は聴いたことがない音を聴いているということで、まるで虫売りから「耳(ヘッドホン)」を借りたみたいだと。おもしろい表現。
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 虫に離れて 虫売のありにけり  深澤鱶

 こちらは商売の呼吸。駆け引き。客が虫に夢中になれば、虫売りはすっと身を引く。そこで「良い声で鳴くでしょ?」とか「お安くしときますよ」なんて野暮なことは云わない。
 ただ、それはいわば表面的な意味であって、その基底にあるのは、たとえば親子の間であっても、いつまでも一緒には居られないとか、病気を代わってあげることは出来ないとか、そういう距「離」のことでもある。
 虫の音にこじつければ、近くで聴けば聴くほどよく聞こえるということないですよね。楽器でもオーディオでも少し離れたところに絶好のポイントがある。「恋」だとどうしても近づきたくなりますが「愛」だとそんな愚は冒さない。相手を思いやれるからベストな間合いを持つことが出来る。
「離」と書きながら実は「愛」を見ている。俳人、恐るべし!

つづく

出典 俳誌のサロン 歳時記 虫売り
虫売り
ttp://www.haisi.com/saijiki/musiuri.htm

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