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[暮らしっ句]草取り,草むしり[俳句鑑賞]

 草取りの母亡く 鎌の赤錆びぬ  花島陽子

 オーバーラップしたのは「夏草や兵どもが夢の跡」。
 この句の場合、戦ったのは「草」と「母」。共通しているのは憎悪の念や悲しみが感じられないこと。両者は激闘を経て一つになったかのよう。
 自然にはこのような理(ことわり)もあるのでしょうか。
「戦争」も「敵」もいわば一過性の現象や存在であって、過ぎれば共に土に還るというような。
 でも、また新たな芽が吹き成長すると反目し合って、ついには戦闘に及ぶ。巨視的に見ればその繰り返し……。
 だから、やはり悪には抗し続けねばならない! 草取りをするように。
「悪」なんて相対的なもの? もちろんです。草と同じ。
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 草取と命と いづれ大事かや  植村よし子

 最初見かけたときには、熱中症のことを云ってるのかと思いました。今や熱中症は、身近な危険ですから。
 しかし、上の句を鑑賞した後で読み返すと「草の命」が頭に過りました。不思議なもので、その解釈の方が句が重くなる。熱中症の場合、脅かされるのは自分の「命」ですから、そのほうが断然、深刻なはずなのですが、「草の命」の方が考えさせられてしまう。
 これ以上云うと言葉が上滑りしそうですが、文明の中で抱いている価値観と自然の中での価値観は違うんでしょうね。
 近代文明の中では自分の命(自我)が一番大事。そう思い込んでいますが、自然の中だと自我の境界が時に曖昧になるのかも。
 卑近な例で云うと「朝顔に つるべ取られて もらい水」。釣瓶に絡んだ朝顔に、犠牲を払ってでも守る価値が生じている。
 そう思うと、「いづれ(の命が)大事かや」という問いかけは、すごい。日々マスコミから連呼される「○○だからアイツが悪い!」の不自然さに気づくことが出来ます。法律とか社会秩序って、「いづれ(の命が)大事かや」という問いかけを隠している。
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 高邁なことは思はず 草むしる  石田邦子

 理屈っぽい話が続きましたので、自戒も込めて~
 草むしりには、そういう効能もあります。
 無理矢理やらされると罰ゲーのようですが、自発的にやると座禅なんかに近いものがありそう。作務ですね。

 草むしる 気塞ぎの箍ゆるぶまで  田岡千章
 病むときは 草取に出てをりにけり  石川千津子  

           ※「箍」は「タガ」、タガがゆるむのタガです。
 実際、草むしりは心の病の治療法にもなります。ただしあくまで自発的にやる場合の話で、現代医療とはズレそうですが。
 下の句は、心の病ではないかもしれませんが、どんな病気であっても心に影響するので、気が晴れる術を心得ておくことは大事なこと。
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 草取りの人来てくれし 今朝の夢  城戸愛子

 草取りが負担で負担で、ついそんな夢を見てしまったと。
 庭なのか畑なのか、範囲によってはうなされるほどの作業量ですから、決して大袈裟なことではないと思います。
 とはいえ、他人から見ればハードルの低い願望。極端な話、業者に頼めばやってくれるわけですし、あるいは、ご主人が有給を使ってやってくれれば夢が叶う~
 これって、ひとつの幸せかなと。地に足の付いた暮らしをしていれば、願望は目の前、手の届くところにある。高額所得者にならないと叶えられないことではありません~
 まあ、そんなこと云ってるから。ずっと底辺なんだ! かもですが……。

 出典 俳誌のサロン 歳時記 草取り 草むしり

http://www.haisi.com/saijiki/kusamusiri.htm


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