文字と言葉と共通認識と、なお話。

見に来てくれてありがとう。

今回は、自分が言語化できなかったことを、言葉にしてくれた人に出会えたこと。やっぱり、その人の持つ能力の高さに年齢も性別も関係ないんだなって改めて思ったというお話。

さて、みなさまは普段話したり、文字を書いたり、メモしたり、はたまた自分のようにこのような記事を書いたり、誰かの書いた本や文章を読んだりという様なことと接していると思うのですが(自分で自分のことを考えたり、口に出さなくても何かに触れて感じたことを頭に浮かべてそこに意味とか何なのかを証明するのに無意識的に文字や言葉を浮かべていると思う)という、自分の視点の前提でお話を進めていくのだけれど、この文字や言葉って、共通認識と、同じ意味を持った「もの」(ものなのかことなのかはたまた他に何かの存在としての表記というかなんというか)なんですよね。上手く説明できる能力を自分は持ち合わせていないのだけど、簡単に言っちゃえば、喜怒哀楽みたいな感情を大まかに分類して共通の認識にしているっていう様なことで。それはさ、1人1人、なんなら存在するものすべてが微細であれ絶対に同じではない違う何かを感じたり表現したり示したりっていうことなのに、文字や言葉にした瞬間にどれも同じにされてしまうことだって。これをね、自分は上手く言語化というか、自分で説明することが出来なかったんですよ。はっきり言う、自分じゃあ絶対にたどり着けなかったと思う。じゃあなんで、ここにたどり着いたかって言うと、この表現を言葉に、文章にしてくれた人がいたんですよ。出会ったの。勝手に。そう、そうなんだよって。そういうことが言いたかったんだって。自分の勉強不足というか、知識不足というかね、そう、足りなくて無知だった部分の表したいを表してくれる人がいたんです。びっくりした。本当に。こんなにも具体的に文字にできるものかって思った。できる人はいるだろうし、そういう文章を書く人もいるだろうなとは思っていた。でも、自分は知らなかった。だから、今回知れて嬉しかったし、同時にちょっと心理的にざわざわして落ち着かない気分になったのだけど。

最近、自分は自分の好きな人や好きなことを紹介しようって文章を書こうって時に語彙力のなさが原因で上手く説明できないとか、紹介できないって思っていたのだけど、そうじゃなかったの。いや、自分が全言語の全単語の意味や文字を知らないのだから、それを言ってしまえば語彙力が足りないっていうことになるんだけど、今の自分が感じていたのはそこではなくて、自分が知っている言葉や文字で、その人を表せるものに該当するものが見つからなかったから。あてはまらなかったから、なんですよ。そう、こういう風っていうのを言語化できないの。ニュアンスでっていうか、こう感じているを共有できる何かで表現することが出来ないの。だって、体感なんだもの。それを伝える時に、寸分の狂いもなく伝えるって不可能なんだけど、それは誰にとっても、ね。でもできるなら限りなく自分の伝えたい全部に近いものを文字というか言葉にしたいなってなったら、該当するものを見つけられなかった。だから、書けない。書きたくない、書こうとすることができない、じゃなくて書けない。これが適切で、自分にとってしっくりいく答えだった。

感覚とか、感情、想いって、自分はすごく大事で、好きなものなんだけど、絶対に誰かと誰かがぴったり重なることはないって思っていて、合致するというか、重なった時に見えない側の存在に気づけないっていうことはないと思っていて。物理的に同じサイズの同じものを重ねてもそうはならないと思っていて。例えば、大量生産されていく食品やおもちゃで、数値や大きさとか材質なんかが仮に全く同じだったとしても、それは違うものだって感じていて。こういうところなんですよね、表現がへったくそだなって思うの。ね?読んでて何言ってるかわからないでしょ?自分でも思う、伝わるように文章を書けてないって。何言ってるのお前?っていう。こういうのをうまく言語化できないの。多分、もっといろんな言葉や意味、単語を知ったとしても自分は的確に適切に表現できないと思う。そこに気が付いた。気づきを得たというか、そういうことなんだって腑に落ちたというか、納得したというか。

勉強不足、知識不足、重々承知で。でもさ、共通認識で通るようにされた文字や言葉の羅列で表現できることに、自分の本当の気持ちや本質というか表したいものを書きだすことが出来るかって言われたらやっぱり自分はNOだって思うんですよ。自分だけが理解というか、こうだって言えるのを全く同じ認識してもらうなんて不可能で。そこには共感というか、共通認識できるものが必要で、でもそれはきっと同じものではなくて。あー・・・やっぱりどうにもこうにも、自分で書くには足りない。もうこの記事自体が足りないものでしかなく見えてきて。

先の表現を教えてくれた人の文章を読んだ時に、物凄く感動したんですよ。内容にじゃなくて、言葉と文章の美しさと繊細さに。なんだろう、自分嘘でもそこそこの本とか文章を読んできたけど、中身や内容じゃなくて文字の羅列に美しさっていうのを感じたのは初めてだったんじゃないかと思う。繊細ではかなくて、でもちゃんと意志というか気持ちや想いがあって。でも、これも自分が勝手に感じていることで。こうして自分の言葉で文字にしちゃうとすごく陳腐に感じる。この感覚や感動はこうでって伝える術を自分は持ってないなって思う。ああ、もどかしい。この人については、また別で書きたいと思います。いやこの人の魅力を書こうと思ったら、それこそ今までの比じゃないくらいに文字を記事に置けなくなりそうな気がしてるんで未定も未定なんですけど。あと、もっとこの人のことを知りたいって思ってて。過去に活動とか書いてたものを削除してしまっているので、そこを知ることが出来ないんですよね・・・。ああ。本当に。X(旧Twitter)でもつぶやいたのだけど、もっと早く、出会えていたら良かったのに。チャンスは、あった筈なのに。心から、悔しい。

もっとね、勉強したいなって思った。知識欲っていうか、感性というか自分が感じられる範囲や許容量を広げて増やしていきたいなって。こんなんだと、いつまで経っても満たされないって。死ぬまで満たされないっていうのは、嬉しいことで(追いかけ続けることが出来るからね)しんどいことで。でも、繰り返しになっちゃうけど今回、自分が具体化できなかったことを表してくれた人に出会えて本当に良かった。嬉しいし、ありがたくて、幸せなことで。心から、感謝を。あなたに出会えてよかった。
自分も含めてみなさまにもこんな出会いと、心穏やかな気持ちで1日を過ごすことが出来ますように。

では今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。

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