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「moon」は心の置き場。


 思い出は力をくれる。


思い出が価値観になり、ぼくらの選択を支えてくれている。無駄になることはたくさんある。「全て無駄じゃなかった」なんてことはない。マイナスにだってプラスにだって思い出は力を貸し続ける。そこから一歩踏み出し、望んだ方へ歩いたその人がすごいのであって、今までのことはプラスにもマイナスにも力強く引っ張るだけだ。今の自分がすごいことを忘れてはいけない。自惚れることが怖くて仕方ないから、謙遜する。自分がやってきたことをちゃんと見て、判断するべきだ。すごいかどうか、思い出が教えてくれる。何をやってきたか。どんなことに打ち勝ったか。あなたしか知らないのに、あなたが褒めなくてどうする?



好きなことを書き続けて、一ヶ月が経とうとしている。3月31日から一日置きに書いて16記事目だ。

一ヶ月書いた締めくくりに最愛のゲームについて喋りたい。

「moon」だ。

好きすぎて、書けない。なんども放棄して。書けなかった。でも、書きたい。


moonをプレイしていた思い出によって、ぼくは支えられている。moonはプレイステーション1のゲームだ。発売は1997年。とても昔のゲームになってしまったのね。このゲームは、王道RPGを勇者の視点ではなく、その世界の住人の視点から見るゲームだ。実際に勇者という存在がいたら、どう思われるだろうか。人の家に不法侵入し、タンスをあさり、モンスターをひたすら殺し、その上全く喋らない。現実のイメージとゲーム内行動の違いの鋭利な皮肉のこもった、だが濃い愛のあるゲームだ。

このゲームは何をするゲームか、moonの世界の中で、住民と共に暮らし、悩み事困り事を解決し、勇者視点でのモンスター(ただの動物たちであり、なんの害もない面白い生物)が勇者に殺されてしまっていたらその子たちの魂を探して助ける、それを積み重ね、愛とはラブとは何かを知っていくというゲームだ。

そこに登場する住民たちは、超個性的で、自由だ。各々が全力で魅力を放ち、混沌としている。神になりたい占い師アダーや、観光事務局を運営する物知りな鳥ヨシダ(関西弁)や、日中鳥たちに餌をやり、お絵かきばかりしている王様、ノンビリキング十三世(そんな風だが、実はいろんなことに気づいていて、イカした王様)。面白い人たちばかりで、飽きない。ゲームしていればしているだけ、こんな人たちのようでありたいなあと願ってやまなくなってくる。そして、その住人たちの中で暮らす主人公は勇者とは違う方法で世界を救おうとするのだ。そして物語は意外な方向で幕を閉じる。でもそれに納得し、「ああ、このゲームやべぇ・・・。」ってなって終わるのだ。あまり内容の深いところを書き始めてしまうと、ネタバレ感が罪悪感になってぼくを苦しめるのでこの辺にしておきたい。

このゲームをプレイしたことで得たことがある。人が当たり前にその人らしく生きたら、とても魅力的だということだ。moonの住民たちを見ているとそう思えてくる。日々生きていると相手への気遣いや世間の目、その辺もたくさんあるだろう。でもそれを全部加味して、自分らしくあれる場所を見つけられたら、きっととんでもなく魅力的になれるに違いない。自分の場所を自分で作ること、その魅力をこのゲームから教わった。このゲームに没頭した時間は大切な思い出になり、ぼくを支えてくれる。


色々書いたけども確実に言えることは、このゲームが本当に面白いということだけかもしれない。感じ方は人それぞれだけど、これで面白くないんだったら知らんぜ。



読んでくれて、ありがとう。



また。





とまお


いただけた時には、本買います。本を。