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最強の中高一貫校

教員になってからかれこれ20年以上が経ちますが、これまでいろいろな学校で働いてきました。自分の中では全然こだわりはないのですが、全て私立の中高一貫校です。

そこで思い出すのは大学の教職課程を取る際の手続きのシーン。当時は高校教師になるつもり満々で、中学で働く気はありませんでした。なので、中学の免許を取るために必要な「道徳指導法」という科目は履修しないつもりだったのですが、教務課の窓口のおばちゃんが「あなた、何があるかわからないから一応「道徳」取っておきなさいよ」と言ってくれ、素直に従いました。

当時あのおばちゃんのアドバイスがなければ、高校教員の免許だけを取得し、今のように中高一貫校で働くことはなかったかもしれません。(中高一貫校では普通中高両方の免許を持っている人を雇います)おばちゃんのファインプレーに感謝感謝です。

さて、本題です。今回週刊ダイアモンドの教育特集号を読んだので、感想を記しておきたいと思います。週刊ダイアモンドはビジネス誌ですが、定期的に教育の特集を行います。ターゲットは当然ビジネスマンの父親でしょう。

私はこのようなビジネス誌の教育特集にもよく目を通します。それは自分の学校が出ていることも理由の一つですが、それ以上にマーケット全体の動向と他校の取り組みを把握するためです。

ちなみにダイアモンドとプレジデントは来月も教育特集号が出る予定だと思いますが、そのインタビューを3月に受けました。紙面の関係で1時間近く話した内容がほとんど割愛されていたりするのは悲しいものですが、自分の学校の先進的な取り組みを一般の方に知っていただけるのはありがたいことだと思います。

今回のダイアモンドのテーマは「最強の中高一貫校」ということなのですが、まずどのような学校が教育マーケットにおいて「最強」なのか、私も気になります。

「最強」の学校について触れていく前に、2020年度、そして2021年入試を取り巻く状況についてまとめておきます。

2021年の中学受験者数は新型コロナウィルスの感染拡大による経済状況の悪化によって前年より減少するだろうと予測されていました。ところがどっこい、ふたを開けてみれば、首都圏では卒業生は減っているにもかかわらず、受験者数は増加しました。これを受けて、「中学受験ブームは後4~5年は続いていく」という関係者もいます。

この背景には、コロナ禍によって露呈したICT教育に代表される公立と私立の教育格差があります。これはまさに私が昨年肌で感じたことでした。

私の学校は全国的にもICT先進校とされ、毎年全国の先生方を招いて研究発表授業も実施しています。ですので、昨年のコロナ禍においても、他校に先立ってオンライン授業を導入し、様々なテクノロジーを駆使して教育活動を行っていきました。4月5月くらいには各メディアでも取り上げられ、ピンチをチャンスに変えることができました。

一方で、自分の娘たちは公立の小学校に通っているのですが、一斉休校になって教育活動はピタッと止まりました。唯一あったのは、学校に教科書と問題集を取りに行って、それを勝手にやっておいてください、という指示だけでした。

私は学校(地方自治体)の対応に驚き、あきれましたが、これもある意味チャンスだと思い、在宅勤務の時間を生かして今までよりも多くの時間を子どもたちと過ごし、勉強を教えることができました。同時にコロナ前から購入していた学習用タブレット端末なども有効活用し、自宅で学校に行っているのとあまりそん色ない形で子どもたちは学習をすることができました。ただ、これは私が教師だからできることでもありますし、一般家庭で子どもたちの学びを止めないことは極めて難しかったのではないかと思います。

というわけで、コロナ禍に起因する駆け込み受験などもあり、受験者数は増え、さらに今後の受験を視野に入れる家庭も増えたとのことです。

これは私立校で勤める私のような人間からしてみれば「追い風」と感じることもできますが、私はそれ以上に日本の教育業界の硬直化に危機感を覚えています。私は自分の学校だけが良ければいいとは全く思っておらず、日本全体の教育を良くしたいと本気で思っています。まずは自分の学校を全国でも知らぬ人がいないような特徴ある学校にして、同じ志を持つ同志を増やしながら日本の教育を変えていきたいと思っています。だから私立が良くて公立が良くないという状況は全く本意ではありません。

ちなみにICT教育に関して補足をすると、公立校であっても「児童生徒一人につき端末を1台配布する」という『GIGAスクール構想』というプロジェクトがあります。

2020年はその構想を進める絶好のチャンスだったのですが、結局改革は遅々として進まず、現在も多くの学校では生徒にPCやタブレットは渡っていません。(生徒に渡っている学校もあり、地方自治体のフットワークの軽さによって状況は左右されています)

さて、そのような状況を踏まえて、「最強」の学校を検証していく流れになっていますが、その「最強」を決めるのがやはり進路実績(大学入試の結果)という前提ですべて話が進んでおり、読んでいて残念な気持ちが溢れていきました。

中でも「レバレッジの利く中学」という特集では、入学時の偏差値が低く、卒業時に難関大学への合格実績が高い中学を「お得な中高一貫校」とし、そのランキングが作成されているのですが、そこに各学校の取り組みはほとんど記されていません。結局進学実績が学校の価値そのものになってしまっているのです。

上記のnoteでも書きましたが、私立校であれば生徒の進路に責任を負うのは当然です。東大だろうが医学部だろうが、生徒の望む進路を実現するのは高校教師の本分です。ただし、それだけでいいのか。大学に受からせることだけが目的であれば、塾や予備校に通えばいいだけで、中学や高校に行く必要はありません。(実際中学は義務教育なので行かなくてはいけませんが)

この特集に代表されるように、学校教育の本質を理解しようとすることなく、偏差値や進学実績といった「数字」だけで学校の良し悪しが判断される風潮が残念でなりません。

しかも、世界は驚くスピードで変化しており、日本もグローバル化の波に完全にのまれています。これまでのような、『”良い”学校⇒”良い”就職⇒幸福』という方程式は崩れ去り、「学歴」ではなく「学習歴」が問われる時代がもうすぐそこまで来ています。

というわけで、読んでいてモヤモヤが残る内容でした。ただし、それはこのダイアモンド編集者の責任ではなく、国民の教育に対する理解がまだまだ未熟だからだと思います。雑誌の編集者は万人に手に取ってもらえる内容を取り入れて、出来るだけ多く売りたいのですから、実際にここに需要と供給が存在していることは重々理解しています。

そんなモヤモヤも、最後の方に載せられていた教育ジャーナリストのおおたとしまささんの記事によって少し晴れました。

おおととしまささんは私の好きな教育ジャーナリストの一人で、これまでに数冊著作を読ませていただいてます。今回の記事では「正解なき中学受験に狂奔。教育熱心を”虐待”にしない」というテーマで、教育虐待について書かれていました。

「教育虐待」はここ数年で社会問題として扱われるようになってきました。有名なのは下記の2つの事件だと思います。

そして、この2つの事件のように大きなニュースにならなくても、教育虐待の末に自死に至るケースも少なくありません。

親の意識が第1志望合格や偏差値向上などの目標や理想の勉強法ばかりに向かってしまい、目の前の子供の「ありのまま」が見えなくなってしまったときに教育虐待は起こりやすい。

おおたさんはそのように述べています。教育虐待も上記同様に教育の本質を見ることができない大人が引き起こしていると言えるのではないでしょうか。繰り返しますが、子供が自分の希望の進路をかなえることに親や教師が責任を負うのは当然だと思います。しかし、そこに子どもの意思がなく、大人のエゴだけで進むようなら、それは虐待になりかねません。

そしてこれも当然のことですが、子供はそれぞれ異なる資質と個性を持っています。1日8時間勉強しても大丈夫な子もいれば、2時間だって辛い子もいます。

中学受験は「親の受験」とも言われるように、親のサポート体制が大きく合否に影響します。親としては責任感あるいは自己顕示欲が刺激され、子どもたちは塾でも家庭でも常に限界まで勉強することが求められます。しかし、子どもは親の所有物ではないことを我々は忘れてはいけません。子供の個性や意思を尊重しながら、家族一丸となって目標に向かって努力することができれば美しいストーリが出来上がりますが、そうでなければ子どもにとっては受験はトラウマにしかなりません。

おおたさんは続けてこう述べます。

たかだか通学圏内にある私立・国立中学校のわずかな偏差値の差で子供の将来が大きく変わってしまうかのように親が思い込んでいるのだとしたら、これからのグローバル社会において世界のどこに行っても通用する広い視野を持ったタフな人物など育つわけがない。
中学受験における親の役割は、何が何でも第1志望にねじ込むことではなく、むしろどんな学校に行くことになってもやっていけるように子供を育てることだと私は思う。
方法は単純だ。どんな小さな努力でも、たとえそれが明確な成果には表れていなくても、子どもの頑張りを見逃さず、「こんなに頑張れるんだもん。あなたならどんな学校に行ったってやっていけるから心配いらない」と繰り返し言ってやればいい。

おおたさんの言葉に救われた気がしました。


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