Q 14. 人は死んだら、どのような状態になりますか?
A.聖書は、人が死んだらどうなると述べているでしょうか?エホバの証人は、人が死ぬと「無意識、無存在」の状態になると主張します。本当にそうなのでしょうか?彼らは、その主張の根拠として伝道者の書9章5・6節を持ち出してきます。その聖句は次のように述べています。
伝道者の書の著者は、この書物の中で、人間の一生の歩みがいかに空しいものであるかを1章から11章にかけて述べています。そして最後の12章で最終的な結論として、人は創造主なる真の神を信じることが最高の人生であることを語るのです。そういう中で9章5・6節の言葉は、まさに人は死によって、「この世の報いはすべてなくなること」を述べて、それも空しいことであると語っているのです。
エホバの証人はこの聖句の「何の意識もなく」という言葉から無意識と理解し、また肉体が無くなることから無存在と理解しています。しかし、何が、どこで無意識・無存在なのか、また「もはや報いを受けることもない」のかを知る必要があります。この聖句の文脈を見ると、人は死ぬと、「日の下」(地上)では肉体が塵となり、意識もなく、報いも受けることがないと述べているのです。つまり、死んだ時の地上での状態を述べているのです。著者はごく自然に、人が死んだ時の状態を述べているだけなのです。
では、聖書は人が死んだ後の状態のことをどのように述べているのでしょうか?
①伝道者の書12章7節
「土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る」
・同じ伝道者の書では、人が死ぬと肉体は塵から造られたので塵に帰るが、人の霊は神に帰ると述べられている。人間は、単に肉体だけで構成されているのではありません。人間は肉体のほかに、魂や霊によって構成されています。目には見えない部分でありますが、肉体と共に魂と霊によって一人の人が存在するのです。目に見える肉体はなくなりますが、魂と霊は存在し続けるのです。つまり滅んでしまわない、存在しているということです。
②ヨブ記26章5・6節
「死者の霊たち、水に住む者たちはその底で、もだえ苦しむ。よみ(シェオル)も神の前では裸であり、滅びの淵もおおわれることはない。」
・死んだ者の霊が「もだえ苦しむ」ということは意識があるということになります。
③詩篇146篇4節
「霊が出て行くと人は自分の土に帰り、その日のうちに彼の計画は滅び失せる。」
・ここでも人が死ぬと、その肉体は土(塵)に帰るが霊は神のもとに出て行くのです。そして生きている時のその人の計画はなくなってしまうのです。
④ルカの福音書16章23・24節
「金持ちが、よみ(ハデス)で苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』」
・この聖句は有名な「金持ちとラザロ」の話です。エホバの証人はこれをたとえ話として理解しますが、「ラザロ」という固有名詞が使われていることから、たとえ話ではないものとしてイエス様は語られたのです。ここでも死後の状態が書かれています。死んだ金持ちは確かに意識があります。しかも父アブラハムにお願いしているのです。ラザロも存在しているのです。なぜなら、金持ちがラザロを遣わしてほしいと言っているのです。
上記に挙げた聖句は、ほんの一部であります。聖書は確かに死んだ後、人は「無意識・無存在」ではなく、肉体は塵に帰りますが、その魂・霊は生きているのです。「霊」の行き先は個々によって違いますが、意識があり、存在しているのです。
エホバの証人の皆さん、聖書が述べている通りに理解してください。どうぞ、組織が言っていることがすべて正しいと思わず、ご自分の目で聖書を読み、真の神に真理に導いて下さいと祈りながら、聖書を学んでください。一人でも多くのエホバの証人が真理に目覚め、イエス・キリストにある永遠の命に導かれますよう心よりお祈りしています。
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