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日比谷公園パブリックアート散策

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2023年7月22日に、みんなで「パブリックアート」をテーマに日比谷公園をぶらぶら散歩します。そのための予習もかねて、公園に展示されているアート作品、オブジェ、山、石碑や銅像など… もっと読む
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記事一覧

1.豊穣(中川為延)

■セメントの思い出少年時代を埼玉の長瀞で過ごした。小学校のすぐ前を秩父線が走っている。友人とブランコに乗りながら、石灰を載せた貨物列車の車両に書かれた「トンメセ白父秩」という文字をなぜか「とんせめしろぶちち」とあえて間違った読み方で大声で叫びつつ、なにがおかしいのかみんなで笑ってた。平和な子供時代であった。 武甲山から採掘された石灰を運ぶ、貨物列車。進行方向によって「秩父白セメント」と読めたり、あるいは左右が逆の「トンメセ白父秩」と読めたりする。思えば、セメントとは意外と縁が

2.雲形池 鶴の噴水

■開園120周年を迎えた日比谷公園1903年(明治36年)に開園した日比谷公園は、今年120周年を迎えた歴史のある公園である。もともとこの場所には、江戸時代には大名屋敷があったエリアだったが、明治になってからは「陸軍操練所」(のちに「日比谷練兵場」に改称)がこの地にあった。 1886(明治19)年に練兵場が青山へ移転した後、ここに公園をつくるという計画が提案された。1900(明治33)年に、ドイツへの留学経験がある林学博士の本多静六氏に設計を依頼。ドイツの公園を参考にした、

3.京橋の欄干柱

さて、橋はパブリックアートではない。けれど、古い橋の欄干柱(らんかんばしら)がふと公園に置かれていると、「あれ?これってなにかの作品なのかな」となんとなく気になる。近寄って案内板を読んで、「へー、これって以前京橋にあったのか」とか。 橋としての機能を長年勤めて、橋が解体されたあともその欄干や親柱を保存してとっておく。その気持ち、わかるなぁ。なじみのある、橋の名前が書かれた親柱は、地元の人にとって愛着のあるものだし、歴史的な価値のあるものだと思う。 ■神田明神に残る元万世橋

4.つつじ山

「アーバンアルピニスト」とは、都会の登山家という意味。私が、週末などに東京近郊で山登りごっこをする際に名乗っている肩書だ。ちゃんと、この肩書きの名刺もつくって持っている。 アーバンアルピニストのミッションは、なるべく登らずに山へ登ること。例えば、エレベーターを使って愛宕山に登ったり、あるいはモノレールで飛鳥山に登ったり。東京とその周辺に200くらいあるといわれている「富士塚」やその遺構などを巡るのも登らない山登り活動のひとつだ。小さい富士塚などは、10歩で登頂できる。それで

5.埴輪

小さいころに住んでいた家の近くで、よく土器のかけらが出てきた。貝殻がたくさん埋まっている場所もあったし、黒曜石らしき黒いガラス質の尖った石を拾ったこともある。そういうものを集めては、小さなブリキ缶に入れて宝物にしていた。小さいころからずっと博物館が好きなのも、そういう子供時代の体験が関わっているのかもしれない。 さて、日比谷公園にある埴輪である。ひとりは刀を携えた武人、もうひとりは体つきから女性だとわかる。そして、背後に館の形をした埴輪もある。左の武人だけなにやら古びた雰囲

6.三笠山

そういえば、2018年に初めて江戸七富士を全部登頂した時、最後の千駄ヶ谷富士を登ったのは会社帰りの夜中だったなぁ、と。平日は会社員としてオフィスで仕事をしているので、ついつい寄り道をするのが会社帰りの夜中になる。真っ暗な千駄ヶ谷富士のてっぺんで、初めての江戸七富士全登頂を喜んだのは今でも覚えている。以来、毎年必ず、江戸七富士は全部訪れるようにしている。年によっては、登頂ができない場合もあるのだが、そんな時でも必ず7か所を訪問している。 来週末に迫った「日比谷公園パブリックア

7.キリンの仔(淀井敏夫)

文化勲章受章者を彫刻家であり、東京芸術大学で美術学部長を務めていた淀井敏夫さんの作品、『キリンの仔』。ブロンズ作品が多い淀井さんの作品の中で、こちらの作品が白セメントでつくられているのは、この作品が小野田セメント社が協賛した野外彫刻展の出品作品だったからなのだろう。 この野外彫刻展は、セメント会社である小野田セメントがスポンサーとして協力しており、作家に材料や制作費を提供した他、作品の一部は小野田セメントが買い上げて、日比谷公園や日本各地の施設に寄贈を行った。この作品展の企

8.ルーパ・ロマーナ像

昔々、アルバ・ロンガ(長く白い都市)という地に、ヌミトルとアムリウスという兄弟がいた。兄のヌミトルは王様となり、弟のアムリウスは財産と領土を受け継ぐはずだった。ところが、アムリウスは兄から王位を奪い、兄の息子(自身の甥)であるラウススを殺し、さらに兄の娘であるレア・シルウィアを子供がつくれないように巫女とした。それでも、レア・シルウィアは軍神マールスと結ばれて、ロムルスとレムスという双子を生んだのだが、この双子もアムリウスによって連れ去られ、川に流されてしまった。流された双子

9.自由の女神

自由の女神像と言えば、アメリカのニューヨークにあるあの巨大な「Statue of Liberty」が真っ先に頭に浮かぶ。この、日比谷公園にある乗松巌氏の野外彫刻も、同じ名前で呼ばれている。 右手を高々と上げているポーズも、似ている。ただし、ニューヨークの自由の女神がトーチ(たいまつ)を掲げているのに対し、乗松氏の像は指をまっすぐそろえて腕をびしっと伸ばしている。もう一つの違いは、左手に抱えている物。ニューヨークの自由の女神はアメリカの独立記念日である「1776年7月4日」と

10.ペリカン噴水

今回、僕が日比谷公園をパブリックアートをテーマに散策しようと思ったきっかけは、6月に日比谷図書文化館で開催された、浦島茂世さんによる『美術鑑賞への入口講座 vol.3 タダで観られるけど、タダならぬアートの世界 パブリックアートを見て歩こう』というトークイベントがきっかけ。その講演の中で、日比谷公園の第一花壇にある『ペリカン噴水』について興味深いお話を伺った。 このペリカンの彫刻は、1953年(昭和28)年に寄贈されたものとされているのだが、どうも背面には1971と書かれて

11.ホセ・リサール博士銅像

子供の頃、伝記を読むのが好きだった。一番最初に読んだ伝記の本は、源義経だったと思う。850年ほど前に生きた人物の記録がどのくらい正確なのかはわからないけど、歌舞伎や大衆演劇の演目としてだいぶ脚色がされていると知るのは後のことなので、単純に物語として面白く読んだ。 その人の人生を知ることで、それまで名前と顔しか知らなかった存在が、身近に感じられるようになる。まるでその人の人生を追体験しているかのような。そんな風に、伝記や半生記などを読みながらその人のことを知るのは面白い。

12.南極の石

南極大陸って、なんとなく「冒険」や「探検」のイメージがある。ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸、そして南極大陸。6つの大陸のうち、唯一まだ未開拓な土地。人を寄せ付けず、誰のものでもない場所。 南極観測船『宗谷』が好きで、船の科学館によく見に行く。週末に訪れると、元乗組員だったボランティアガイドの方がいらっしゃって、当時のリアルなお話を伺ったこともある。私が子供の頃に、『南極物語』という映画があって、極寒の地に残された犬たちの物語

13.古代スカンジナビア碑銘譯

日比谷公園にあるこの石碑は、欧州日本間をつなぐ北極航路が開設された10周年を記念して、スカンジナビア航空から1967年に贈られたものである。表面には、古代北欧バイキング文字が刻まれている。 いったい、なにが書かれているのだろう。 北ヨーロッパのスカンジナビア地方のバイキングたちは、ルーン文字を使っていた。Wikipediaに、ルーン文字とアルファベットの対応表がある。それを見ながら、石碑の左下の文字を解読してみると、なんとなく「スカンジナビア」と読める。ここで、「あ、いけ

14.石貨

先日、三田のガウディこと岡さんがつくっている、「蟻鱒鳶ル」を見学させていただく機会があった。岡さんは40歳から、17年間この場所で自分の家となるコンクリート造りのビルを建てている。17年間、ひとつのものを作り続けるというその執念と努力。すごいなと思った。 まだ完成していない、最上階のスペースを見せてもらった。そこには、石貨のような形をした大きなコンクリートのオブジェが置かれていた。ビルが建てに伸びるたび、この石の輪も上階へ引き上げてきたとのこと。まだ、このパーツがビルのどの