マーブル

人に幸せを共有することでみんなが幸せになる。
TwitterやInstagramはこんな理論を元にして作られた。らしい。

君はこれを聞いて何を思った?
私はこう思った。
「これがその結果か?」と。

想像して欲しい。
幸せを共有し続けた結果どうなった?
その結末がこの嫉妬と怨恨渦巻く退廃的な大SNS時代だろう。
人に幸せを共有したところでされた側は幸せにはならない。

それを早く誰かが学習するべきだ。


何故か?なぜ人に幸せを共有したところでされた側は幸せにはならないのか?

答えは、みんな隣の芝が青いからだ。
自分と違う境遇の奴に憧れ、彼らの幸せを判断基準にし、自分の既に持っている幸福を過小評価する。

人にはそういう性質がある。主観であるが。


ただでさえ幸せを得ているのにわざわざ高い金を払って。見栄を張って。都合のいい面だけをわざわざ切り取って。
もっと煌びやかに投稿してどうするんだ。
それでは見栄を張った側も貼られた側も幸せにはなれない。両損だ。そうでは無い。

幸福では無く、もっと皆、不幸を共有するべきなのだ。
不幸を共有して、隣の芝生が思っていたより青くないことを知るべきだ。

幸福の代償にはリスクが、
資産の裏には時間と努力が、
不幸な自分の手元には安息があると知るべきだ。

きっと我々に必要なのは人と幸せを比較しないなんて言う無理難題ではなく、その人と酒を飲むことなんだ。

その人の愚痴を聞けば、思ったよりもいいもんじゃあないと気づくはずだ。

かく言う私も隣の芝は青い。自分の人生を呪ったことなど数知れずだ。

だからこそこうも思う。私が青いと思った誰かさんも私の人生はきっと青いと。

皆がくすんだ芝を見せることで、結果的に全体が澄んだ青になる。

嫉妬と怨恨渦巻く退廃的な大SNS時代、
このマーブル色の芝をした現代社会の理想論では無いだろうか。

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