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八村塁は日本代表に参加しなくてもいいと思う理由

 バスケ日本代表と八村の関係についてTwitterでつらつらと考えていたら意外と長い連ツイになったのでnoteに再整理しておきたいと思います。予めお断りしておきますが、八村は日本代表に参加しなくなった件について詳しく説明していませんので、すべては私の憶測にすぎません。勝手な考察をするだけの記事ですので不愉快な方はどうぞここでお引き取りください。


八村の気持ちは「国籍は関係ない」ではないのか

 八村はベナンと日本のハーフです。NBA選手になってから自らを「BLACK SAMURAI」というキャッチコピーでブランド化するなど、独特な出自には強いこだわりがあり、アイデンティティーとして大事にしている選手です。18歳で渡米して8年、現地の友人に囲まれてオフを満喫する様子をインスタで見ることができます。
 本稿で考えたいのは、そんな八村にとって「日本人であること」にどの程度の意味があるのかという視点です。私たち日本のバスケファンから見れば八村の存在は唯一無二の絶対エースであるわけですが、八村の方から見れば日本は片方の出自にすぎません。また、生活の拠点でももはやなく、文化的にもすでに遠い過去のものになっているといえます。八村から見れば日本は「高校生まで育った国」という位置づけにすぎないとも言えます。その後、自らの意志と力で大学を経てNBA入りをした今となっては、日本は懐かしい思い出以上のものではないのかもしれません。

日本に愛着の強い渡邊と日本に寄り付かない八村

 渡邊雄太はことあるごとに日本に帰国し、メディアに出演したりバスケセミナーを開催したりと積極的に母国に還元しようとしています。NBAで契約をもらえなければ帰国してBリーグに参加するとも公言しています。日本代表にも強くコミットしています。明らかに「自分が日本のバスケ界を背負っている」という自負が見られます。おそらくキャリアを引退した後も、解説者や監督としてずっと日本のバスケ界に関わり続けるつもりでしょう。

 それに比べて八村は、日本に帰国しているというニュースすらまず目にしません。NBAのオフシーズンもどこかで誰かとリゾートをエンジョイする写真を目にするだけです。高額な衣装を身にまとい、いかにもNBA選手然としています。それが彼が「そうありたい自分」なのでしょう。日本に帰国してテレビに出たり講演したりすることには興味がないようです。NBA選手のすべてがそうではありません。ヨキッチやシュナイダーはオフには母国でメディアに露出しています。ここには八村という個人の考え方が反映されています。八村は必要以上に日本と関わりたくないと思っているように見えます。(あくまで憶測です)

日本代表は彼にどんな傷を残したのか

 八村はアンダーカテゴリから日本代表の常連でした。国際大会でスカウトに目を付けられてゴンザガ大学からオファーをもらえたことで今のキャリアがスタートしたという経緯があります。
 A代表の公式戦には20歳で初出場しています。この頃バスケ協会の偉い人の発言を聞いた覚えがあります。ゴンザガ大学まで八村に会いに行って、「日本代表としてプレーすることを選んでもらえた」と言っていました。八村は例えばベナン代表を選択することもできたのでしょう。このときどのような言葉で説得が行われたのかも、その後の顛末を考えると気になる所です。これも憶測ですが、「八村君、君を育ててくれた日本に恩返ししなきゃダメだよ」というような、いかにも日本的な思考の押し売りが行われたのではないかと私は想像しています。それが積もり積もって東京五輪後の破局を招いたのではないかと思うのです。

 東京五輪の後、八村はファンからヘイトメッセージが送られてくると発言していました。八村のメンタルヘルスの問題を具体的に報じる記事は少なかったですが、その一端が垣間見えるこんな記事がありました。

 日本のファンの言動が八村のメンタルを削ったことは間違いなさそうです。そういえば2023年のW杯でパリ五輪の出場権を獲得したときも、「八村は本戦だけ出場する気か」という批判の声も上がりました。代表に参加してもしなくても批判されるのですから選手は大変です。その後八村が日本に寄りつかなくなったのも、日本人に対する失望があるからではないでしょうか。アメリカの方が居心地がいい。現地の友人たちの方が心置きなく付き合える。八村の精神的なホームはすでにアメリカであり、その点も渡邉雄太とは正反対という印象があります。

 東京五輪のとき八村は23歳。3年間の代表活動で本人いわく「バーンアウト」して、26歳の今まで代表から離れている状況です。その間も八村はフィジカルをさらに強化したりスリーポイントを上達させたりと、NBA選手としてのキャリアは着実に積み上げてきています。今年の夏のパリ五輪の本戦でいよいよ代表復帰するのか、注目されています。

八村にとって価値があるのは「日本」ではない

 東京五輪では八村は旗手を務めました。複数のルーツを持つ選手が旗手を務めたことには大きな意味があるとして話題になりました。

 八村は、自分が日本代表の旗手を務めることには価値があると考えたのです。それは世界に対するメッセージになるからです。人種とかルーツなんか関係ないのだということを彼は表現したかったのだと思います。しかし、皮肉なことに、その東京五輪を機にメンタルを崩し、代表から離れてアメリカ生活に専心することとなりました。
 「日本的な何か」が彼にダメージを与えたのだろうと想像します。先述のヘイトもそうですが、それ以外にも八村の性格に合わなそうな項目はいくつも挙げることができます。生真面目なガンバリズム、代表活動は死ぬ気でやらなければならないというようなメンタリティ、先輩ー後輩関係、ねばならない思考、あらゆることにおける同調圧力、過度な均質性、異端者を排除する傾向、等々。これらは日本に暮らす日本人である私から見てもお世辞にも良いものとは言えません。ましてアメリカに暮らすアフリカ系日本人から見れば、日本ローカルの文化は馴染みづらい異様なものに見えることでしょう。
 八村は日本を盛り上げるために旗手を務めたのではなく、世界に人種的寛容さを訴えるために旗手を務めたのです。しかし当の日本人たちは相も変わらず均質な同調圧力の世界で生きているのを見て、八村はいわば日本を見限って、いよいよアメリカを本格的に拠点にする決心をしたと見ることもできるかと思います。

 さて、その八村から見て、今の男子日本代表のバスケチームはどう見えるでしょうか。自分がコミットする価値を見出せるでしょうか。この3年間八村は代表を避けてきましたが、公式な説明としては「コンディション調整のため」などとなっています。しかし私は本稿で述べてきたような背景から、そんなに単純な問題ではないと考えています。コンディションとスケジュールさえ都合が合えば気安く参加するというほどハードルの低い話ではないと思っています。要はコミットする価値を感じるかどうかだと思います。義務感だけで参加しても前回のように潰れてしまっては本末転倒です。「日本に恩返ししなければならない」といった義務的な発想で参加するのはリスキーですし、必ずしも代表活動に参加しなければ「日本に恩返し」できないのか?という問いも考えられるでしょう。考えようによっては、NBAでバリバリ活躍する姿を見せることこそが日本への恩返しにもなっているのだからそれで十分だと考えることもできるでしょう。日本代表に参加するのは日本という文化的固有性もあって他国の代表に参加するよりも負担が大きい仕事かもしれません。あえてそれをするためにはそれ相応のモチベーションが必要です。

 現日本代表チームのバスケットが八村から見て単純に魅力的であれば、快く参加してくれることでしょう。それが自身のNBAキャリアにとってもプラスになるということであれば、参加しない理由がありません。トム・ホーバスのバスケットは女子を率いたときと同様、フルコートプレス、トラップ、スリーポイントを軸にしています。プレスやトラップはNBAではめったに見ません。実際、代表が昨年スロベニアのドンチッチと対戦したときには強いロングパスを捌かれて効きませんでした。NBAでプレスやトラップが採用されないのは通用しないからであり、確率の良い戦略だと考えられていないからでしょう。日本代表はあえてそれをやっています。平面のバスケットに持ち込む。ファウルぎりぎりのハードなディフェンスをする。そういう所に活路を見出そうとしています。このような戦略を八村はどう評価するでしょうか。自らがそのシステムの一部になることに選手としてどの程度意味を見出せるでしょうか。ひょっとすると高校時代を懐かしく思い出しているかもしれません。昔の能代工業や今の福岡第一などがそういうバスケットをやっているからです。そんな「日本のバスケット」がそれなりに世界に通用するというので日本のバスケファンは喜んでおり、トム・ホーバスに万歳三唱を送っているわけですが、さて、そんな日本ローカルのバスケットに八村が付き合う意味はどの程度あるのでしょうか。日本らしいバスケットを追究するのであれば、むしろ自分はいない方がいいのではないか、という考え方もできると思います。

 ここまで述べてきたように、今の八村には日本ローカルのやり方に合わせるという発想は希薄です。彼はもっと遠くを見ています。日本代表という資格も、彼にとってはたまたま選んだものにすぎません。国籍でまとまって「日本一丸」(by Akatsuki Japan) みたいなノリで活動することが八村のポリシーに合致しているようにも見えません。

帰化選手はなぜ代表に参加するのか

 ここまで八村のことを考えてきましたが、それでは帰化選手はどうでしょうか。Bリーグは多くの帰化選手を抱えており、そのすべてが代表候補とされています。中には日本語をあまり喋れない選手もいますし、日本にどの程度愛着があるのか甚だ疑わしいケースもあります。チームとしては(そしてファンも)、帰化選手は使い捨ての「助っ人外国人」扱いしている向きがあるのではないでしょうか。(一般に帰化する年齢は高いので代表活動ができるのは1~2年程度の選手が多く、どんどん新しい選手を使い回しているように見えます。)裏でどんな話し合いが行われているのか知りませんが、金銭的なインセンティブが提示されている可能性もあるのではないかと予想しています。そもそも日本には出稼ぎ出来ている選手が多いわけで、金銭的なメリットがないのに日本代表でハードワークをするとは私にはちょっと考えられません。
 これに関連して、Bリーグの島田慎二チェアマンは、「Bリーガーは代表に選出されたら応じる義務がある」と発言しています。

 これは帰化選手のことも念頭に置いた発言かと思います。代表参加は名誉なことである以前に義務だというのですから驚きました。選手としては圧迫されている気持ちになるでしょう。事ほど左様に、日本という国は「ねばならない思考」で物事が進んでいきます。日本が古いのか、日本のバスケ界がとくに古いのかは知りませんが。この機会に、帰化選手たちがどんな気持ちでプレーしているのかを想像してみるのも意義のあることではないかと思います。

 幸いなことに八村はBリーガーではありませんので上記の義務規定に従う必要はありません。しかし、日本のバスケ界がこのような論理で動いているのであれば、八村に対する参加要請が説得力を持つとは私には思えません。むしろ忌避される可能性が高いような気がしてしまいます。
 また、私たち日本人が八村を見る目は帰化選手たちを見る目とどの程度違うのでしょうか。私たちが八村を応援するのは、日本国籍を持っているからであり、日本代表を強くしてくれるからでしょう。もし仮に、今後八村がアメリカ国籍を取って日本国籍を放棄したりしたら、日本人の多くはもう八村を応援しないでしょう。つまり、私たちは日本人としてのナルシシズムを勝手に八村に投影しているにすぎません。この構造に無自覚であることも良くないと思います。八村の方はそんな日本人のナルシシズムに付き合う義理は当然ありません。

まとめ 参加するなら気持ちよく

 憶測でいろいろ書いてしまいましたが、客観的な情報だけを見れば、今夏のパリ五輪には参加する確率のほうが高い状況だろうとは思います。NBAのキャリアも落ち着いてきましたし、ちょっと代表に参加することが大きな負担になるとは限りません。(ドンチッチなんかはヨーロッパ予選から何から全部出場していますがNBAでのパフォーマンスは変わりません。)プレータイムの制限を決めるなど、チーム八村と日本バスケ協会の間で現実的な折り合いをつけて、無理のない範囲で参加してもらうことはそれほど難しい交渉ではないでしょう。しかし、だとしても、私は気が乗らないなら参加しなくていいと言いたいと思います。いろいろ妥協したり言い訳したりしながら参加するのもつまらないでしょう。ワクワクするなら参加する、しないなら参加しない。シンプルにそれでいいのではないでしょうか。それが八村らしいのではないかと私は思います。

参考資料



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