見出し画像

恩塚監督 怒らない、抑圧しない、それでも選手は強く戦える

 女子バスケ日本代表がパリ五輪出場権を獲得しました。世界ランク9位の日本から見れば格上のスペイン(4位)とカナダ(5位)に勝利して堂々と自力出場を決めました。私も当然嬉しかったわけですが、なぜ嬉しいのか、この結果にどんな価値があるのかを少し語っておきたいと思います。


マッチョイズムからリベラリズムへの過渡期

 恩塚監督の功績は色々な側面から語ることができます。バスケクラスタの人たちは純粋にその戦略面を語るほうが楽しいかもしれません。しかし私は今回は、もっと広くスポーツ一般に通用する議論をしたいと思います。私の見立てでは、現在の日本のスポーツ業界は旧態依然としたマッチョイズムから合理主義的で公正なリベラリズムへの過渡期であると考えます。恩塚ジャパンもその一つの現れであるといえます。「スポーツ・マッチョイズム」から「スポーツ・リベラリズム」へ。本稿ではこの視点に立ってスポーツを巡る状況を俯瞰していきたいと思います。

慶応高校の衝撃

 まず、2023年の印象的な出来事といえば、慶応高校の甲子園優勝がありました。髪型自由、生徒の主体性重視、長時間練習なし、そして何より「エンジョイ・ベースボール」という理念。従来の高校野球のイメージからかけ離れたチームの優勝は世間に衝撃を与えました。

 選手の主体性重視といえば、サッカー日本代表の森保監督を連想する人も多いでしょう。まさにこれらの監督が「スポーツ・リベラリズム」の体現者です。結果も出しています。指導者が怒ったり抑圧したりしなくても、選手は強く戦えるのです。それを証明する指導者が次々と現れています。恩塚監督もその系譜に位置づけられます。

檄を飛ばすマッチョな指導者たち

 一方、スポーツファンの間では「スポーツ・マッチョイズム」への郷愁もいまだに根強くあります。叱る、強制する、統制する、といった側面に大きな価値を置く人たちです。たとえば2022年サッカーW杯において、こんなツイートが多くの共感を集めていました。

 動画に映っているのはハーフタイムに激しく檄を飛ばすヘッドコーチ。この後アルゼンチン相手に逆転勝利したことから、監督とはこうあるべきだと喝采を浴びていたのです。(しかしサウジはその後2連敗して予選敗退でしたのでこのHCが結果を出したとは言えないのですが、なぜか誰もそこには触れません。)

 次に男子バスケHCのトム・ホーバスを取り上げます。2023年のW杯(=五輪予選)のタイムアウトで激しく檄を飛ばすシーンがありました。

 河村選手が反論した途端、大声で「いや言い訳!!」と制していた場面です。トム・ホーバスはその著書の中でも「選手が口答えするのは好ましくない」とはっきり書いています。きっと練習中もこのように頭ごなしに叱り飛ばしているのでしょう。このような指導法は「スポーツ・マッチョイズム」にあたります。そして重要なことは、このタイムアウトのシーンを多くのバスケ観戦者は好意的に見ていたということです。「スポーツ・マッチョイズム」には人気があります。「スポーツ・リベラリズム」より圧倒的な多数派なのです。

嫌われるリベラルな指導者たち

 このような状況が生み出している悲劇があります。「スポーツ・リベラリズム」の監督は多数派から嫌われるということです。慶応高校も嫉妬交じりの批判を浴びていましたし、森保監督も連勝が止まった途端に解任論が吹き荒れました。恩塚監督もクソミソに言われ続けてきた経緯があります。多数派から嫌われる監督は結果を出してアンチを黙らせるしかありません。非常に難しいミッションですが、それでも信念を貫き通して結果を出したことには途轍もなく大きな価値があると私は思います。そのおかげで、スポーツ文化の健全化が確実に一歩前進したのですから。

井村雅代コーチを今でも支持できますか

 さて、「スポーツ・マッチョイズム」の代表格といえばシンクロナイズドスイミングの井村雅代コーチでしょう。叱る指導法、猛烈な練習量、勝利至上主義。このようなスポーツ指導が礼賛されてきた過去があります。

今ではどうでしょうか。きっと今でも井村コーチの指導法を支持する人のほうが多いでしょう。それでも、少なくとも賛否が分かれる状況にはなってきたと思います。その功罪両面が議論されるべきだと考える人が多くなっているでしょう。「スポーツの世界は特殊だからそれでいいのだ」と開き直るような人はよほど時代遅れの人です。今や「特殊な世界だから」という言い訳は通用しなくなりました。芸能界であろうとスポーツであろうと、市民社会の倫理が免責されることはなくなりました。「スポーツ・リベラリズム」への転換は不可避的なものです。それは寂しいと郷愁に浸る気持ちも分からなくはありませんが、基本的には望ましい変化のはずです。

スポーツ文化の新しい常識

 この価値観の転換が浸透するにはまだしばらく時間がかかるでしょう。少しずつ従来の思い込みから抜け出していく段階があるでしょう。まずは、指導者が怒ったり抑圧したりしなくても、選手はちゃんと強く戦うことができるのだということを認識してほしいと思います。慶応高校や森保ジャパン、そして恩塚ジャパンがそれを証明しています。これらの事実の積み重ねによって、スポーツにまつわる常識が正常な方向へと変わっていくことを願っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?