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トマさん劇場#26「白い栗のイガ」

「新しい移動手段を発明したから、お前にはぜひ体験してほしい」。
彼礎かのそ在住の高校生、岸すずるが、父の岳彦たけひこに呼び出されたのは、学校がテスト後の休みに入った7月15日の事だった。

彼礎市手原てはら区にある自宅のガレージに帰ると、待っていたのは奇妙な物体だった。

「親父…なんだよこれ、栗のイガでも巨大化して何をしようと…」遮るように岳彦は説明を始めた。
「栗のイガなんかじゃない!これはな、俺が発明した空を飛ぶための、飛行機なんか目じゃない新型だ!」
名前は明かされなかったが、どうやらこの物体には、小型ロケットエンジンが4つと翼がつけられていて、それで空を飛ぶことができるらしい。

「随分と胡散臭いな」
「いいから乗れ!!」
「あぁっ、ちょっと…学校終わってすぐなんですけど」
「気にすんな、ほれ連絡用無線と非常用のラジオな、落ちそうになったら赤いボタンでパラシュート開けろ、操縦桿これな、これ書いてる通り扱えばOK、この"ブースター"ボタンで方向転換しやすくなる…」
早口で機能説明をする岳彦を前に、すずるは無力だった。
「離陸するときはエンジン動かして操縦桿引っ張ってやれば上にあがるぞ、シートベルトちゃんとしろよな」
気づいたらすでに操縦席に押し込まれていた。
「親父ちょっと!?俺はまだ操縦しますって言ってねぇぞ」
「うるさい!さぁ早く飛べ、俺はこの家で待ってるから」
脱出しようとしたが、鍵がかかっていて出られない。
こうしてすずるはなくなく、父の作った飛行物体の操縦をすることとなった。

「じゃあ、行ってきま~す」
「おっし、行ってこい!」
嫌々そうに操縦桿を引っ張る。
ゴゴゴ…と改造車のようにうるさいエンジンサウンドが響きわたる。
そして、白い栗のイガ(1人乗り)は、曇り空の彼礎上空へ向かっていった。

いつもの町が随分と小さく、まるでGoogle Earthグーグルアースでもみているかのように見える。
無線が入った。
「浮いてるな、よし。じゃ、そのまま彼礎市上空一周してこい!」
「えっ!?何急な事言ってんの親父、俺はまだ高1だぞ!?学校も普通科で、クラブは新聞部、飛行機の操縦なんて子供の頃のイベントで…」必死に抵抗する。
「うるさい!!グチグチ言わんとさっさと行け!GPSで見張ってるからな~」
「クソ、覚えてろ!」
抵抗も空しく、すずるは大都市の彼礎上空を処女飛行する事となった。

市の端っこに当たる手原区。
岸家があるのはこの区の南端、花瀬はなせ市の近くだ。
ここから、育上いくじょう区、高山たかやま区と北上、そのまま東に向きをかえてきた区、湾岸わんがん区、南に向きをかえてみなみ区、西に向きをかえてひがし区、中央ちゅうおう区、西にし区、と進み、最後にこの手原区に戻ってくる。

ひとまず操縦桿を前に倒し、北へ進む。
エンジンが90度回転し、北への推進力を持つようになった。
物理とかはよくわからないが、こんなものらしい。

手原区中心部の彼急かのきゅう手原駅前あたりに来た。
道行く人がこちらを見上げているのが見える。
すずるは軽い優越感よりも、激しい羞恥心を感じていた。
__こんな模様がネットを経由して夕方のニュースで取り上げられてみろ、間違いなく格好から学校がバレて、停学になる、否、イガが案外目隠しの役割を果たしているから大丈夫なのかも知れないけど。
そんな気持ちをこらえながら、育上区へ入った。

同区では県道68号線の上を主に飛んだ。
ここなら落ちても大して害は少ないという、間違った考えに基づくものだった。
しかし、道の両脇のビルで働く人々が案の定、すずるの乗る白い栗のイガを見つめている。
実に恥ずかしいと思ったすずるは、若干東に進路をとった。
県重要文化財の巣前寺すぜんじがある辺りで、人通りも少ない。
ここなら安心して飛べる。と、少し心が軽くなったような気がした。
イガはそのまま、高山区へ入っていった。

緑が他区よりも多い高山区が県内に誇る高級住宅街、大桑おおくわの辺りを飛ぶ。
昼間は人通りが少ないらしく、意外に見られていない。
そう安心していると、目の前に学校が広がってきた。
ヤバイではないか。学校では今、体育の授業中らしく、運動場に子供たちの姿が、ゴマのように見える。
しかもこのまま進めば、彼礎市を脱出してしまう。

迷ったすずるは、方向転換のためにブースターボタンを押した。
すると、イガのそばのエンジンが大きな音をあげ、スピードが上がりだした。
あせるすずる。
しかしなんとか操縦桿を握ると、方向転換がしやすいよう、操縦桿の動きと共にエンジンの噴射が調整されている。
なるほどと思いながら、イガは東に進路を変えた。
二十にとう自動車道の北大桑ジャンクションから分岐する彼礎都市高速1号環状線と平行しつつ、北区へ入る。

北区は工場が多い。
40年前頃、先程の二十自動車道から近く、かつ都市高速が建設された影響でアクセスが向上し、田園が多かったこともあって工場がいくつも進出してきたという。
工場の無機質な感じのてっぺんはどこか新鮮だった。
こんなにもフラットだとは。
そう感心しながら、北区を東に進む。
1号環状線から3号彼礎港線が分岐する江沢こうざわジャンクションが見えた。
夜になれば綺麗な夜景が広がるというものの、今はただのジャンクションにしか見えない。
色も灰色と黒で地味だ。

多少、イガの操縦にもなれてきた。
すずるはブースターボタンをもう一度押し、今度は気分よく曇り空の向こうを目指して上昇していった。
イガの燃料計を見たが、まだ余裕はあるみたいだ。
イガはスピードを上げたまま、湾岸区へ入った。

湾岸区は賑やかだ。
もともとは貨物港だった彼礎港に、クルーズ船や高速船が来るようになってから栄え、今では人気スポットに。
2003年に人工島のシーサイド・メトロギアが開業してからは彼礎の未来都市担当のような雰囲気を醸し出している。
都市高速3号線と平行しながら飛ぶ。
もう道行く人やドライバーにみられる羞恥心は無くなってきていた。
それよりもやはり気持ちがいい。
涼しく、風もイガの隙間から入ってくる。
さらにスピードがいい。
だんだんすずるもノリノリになってきた。
空も青空が見えてくるようになり、すずるはイガを上へ上へとあげていく。
すると、彼礎湾の向こうに、地平線が見えてきた。
なんと美しいのか、と彼は思った。
人工島として現在3つが作られているシーサイド・メトロギアの模様や、その回りに広がる発電所が、未来都市の雰囲気を高めている。

そろそろ旋回して、港区へ向かおうとした辺りで、トラブルが起きた。
ブースタースイッチを押したところ、イガがぐるぐると回りだした。
燃料計を見ると、なんと燃料が底を尽きかけていた。
あまりの急な展開に頭が真っ白になる。
なんとか操縦桿をいじって、体勢を整えようとするも、すでに手遅れだった。
イガはくるくる回りながら、彼礎湾へ注ぐ秦川はたがわへ墜落した。

ボン、と鈍い音がする。
すずるは生きていた。
どうやらイガが衝撃を分散してくれていたらしい。
もっとも衝撃でドアが開いて、中身は濡れているが。
処女飛行は失敗に終わった。

岳彦に無線をかけるが、出ない。
どうしようか困っていると、県警察のパトカーがやってきた。
誰かが通報したのだろう。
そりゃそうだ。
突然空から白い栗のイガが降ってきて、中を覗いてみたら高校生男子が乗っているのだから実に珍妙なことだ。警察を呼んで当然だ。
警察官に河川敷まで引っ張ってもらう。
すずるは無事だった。
シートベルトが功を奏したらしい。

すずるは警察官に事情聴取を受けた。
なぜ栗のイガで空を飛んだのかだ。
これに彼は「父親に、強引に飛ばされた」と答えていた。
父親もやってきた。
「おおすずる!無事だったか、良かった~。すまん、パチンコしてて無線聞こえなかってさ」
最低だ。
無線を聞き逃したせいで、緊急信号も届かず、警察からの連絡でここに2時間遅れで駆けつけていたのだ。
「親御さんですか?」
「えぇ、そうですが」
「無理矢理飛ばせたというのは」
「ギクッ」
岳彦はすぐにすずるに小声で怒鳴った。
「おまっ、アホか。なぜそんな余計な事実を…」
「ちょっ、事実って、聞こえてるから」
「事実なんですね」
「えっ、まぁ」
「一応飛行の許可証みたいなのは出てたんで、今回は厳重注意ということにしときますが」
「ふぅ…」
「親父なぁ…」
「もう、あんま飛ばさないでください。色々怖いんで」
「はぁ…」
2人は厳重注意を受けた。

イガを押収された帰りはパトカーで自宅へ帰っていた。
都市高速4号南彼礎線の、南山下みなみやましたIC付近でのこと。
「親父」
「ん?」
「楽しかったよ」
「えっ?あんな嫌がってたのに」
「ううん、空飛んでるとさ、今までとは違うような目線で世界を見てるって感じで、楽しいんだよ」
「ほう」
「だからさ…!」
警察官を挟みながら、少し大きい声をすずるが上げた。
「もう一度、飛ばせてほしい」
険しかった岳彦の顔が、パァと明るくなった。
「そうかそうか!よし!そうと決まれば早速次回作だ!次はどうしようか…いよいよ飛行機タイプかな…」
「あっ、もっとマシな場所で飛ばしてくれよな」
「わかったわかった、任せなさい!」

こうして、すずるに、「空を飛ぶ」という新たな人生の目標が生まれた。
一方、岳彦には、「妻のかおりへの言い訳を考える」という、早急の目標が生まれていた。
「あぁ~あ、かおりって怖いんだよな~、中国武術習ってたって言うし…」

(了)(3878文字)


この作品はフィクションです。
実在の人物・地名・団体等には一切関係ありません。


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