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あなたの一目惚れ、ときめきをもう一度。

 11月20日に3度目の文学フリマへ出展しました。友人からパワーを貰いつつ細々と制作活動をしている私ですが、イベントへの参加を重ねる度に改めて感じる事、そして分かりやすくトライアンドエラーがあります。個人的にとても良い経験をしているなあと感じています。

 今回のイベントに向けて制作した新作は、大好きなイラストレーションのグッズではなくなんと詩集でした。
 もともと文字を書く事は嫌いでは無いし、言語化したテーマがないとイラストレーションが描けない私は勝手に絵と言葉は近いものだと思っています。

詩集 僕のバイアスパレード


 次のイベントには何を作ろう。半年前、実は描きたい絵本のテーマやモチーフが決まっていました。けれど、私は日常の仕事の忙しさにかまけて、中々構想を進められずにいました。
 このままでは自分が納得する作品を次のイベントまでに完成させる事はきっと難しいと判断し、絵本の制作を見送りました。

 次のイベントは何を作ろう。私はまた考え始めました。今年に入って描いたイラストをグッズ化していないからそれを追加するか、イラストのまとめ本を作るか。
 案は出るものの何故かピンとこず、イベントに出店した時のブースのセッティングのイメージにはもやがかかったままでした。

 どうしようかな、どうしようかなと考える内にジリジリした暑さが襲いかかり、そしてその熱が少しずつ冷えていく事に気づいてしまった時です。

 流石にまずい、けれど新しくイラストを制作できる気力も体力も今はない。そう落ち込む日が多くなりました。
 そんな何もできない自分を責め始めた頃、同僚に〇〇さんてコピーとか企画が得意なんじゃ無いですか?と言われ、これかも!と単純な私は思ったのでした。

 絵を描くには下絵を描いて線画を描いて色を塗ってと工程が多く、好きだけれどその時間を考えてしまうとその時の私にはあまりにも重労働でした。
 短い文章なら今の私にも気軽にできるかもしれない。

 季節が変わりゆく中の一筋の希望のようでした。
 それがちょうど8月の終わりです。




 9月1日、Twitterに詩を投稿してみました。ちょうど月初めだしただ詩を投稿するだけでは面白くないと思った私は縛りをつける事にしました。

 1日1詩を投稿する事。

 #1日1詩 のタグを付けてまず1ヶ月やってみよう、続かなくても大丈夫!自分がやりたくてやる事なのだ、とあまり気負わずやるつもりでした。

 9月1日の詩の紹介をさせてください。


9月1日

私は
業務中の左クリックの1回だ
納豆パックのフィルムにくっついた1粒だ
癖毛を直すおざなりなヘアアイロンの熱1回だ
夜の交通整理灯の一振りだ
小説の見返しの遊び紙の1ページだ
布の網目をくぐってしまった羽毛の一片だ

それでも胸を張って良い


 詩集を買ってくれた友人に詩を読んでどう思う?と私は感想を求めました。
 詩の感想を欲しがるなんて今思ってもその時も少し恥ずかしいというか、図々しかっただろうかと不安になりました。
 それでも問いかけてしまったのは純粋に知りたかったからでした。
 自分の感覚や思考や表現を、人はどう受け取るのだろう。自分の詩に持たせた思いと答え合わせをしたかったのです。


 友人は笑顔で共感の言葉をくれました。私もそう思うことがある!と。

 心の中でなるほど、がくり返されていたし実際に声に出ていたかもしれません。
 この詩を思いついた時、私は自分自身と自信の価値に不安を持つ人へ応援の気持ちで綴りました。

 フィルムにくっついた納豆一粒なんて、きれいに取って食べる人もいれば面倒で取らずに捨てる人もいるでしょう。
 存在感のあるようでないような一粒が、社会やコミュニティの中で無価値に思える自分と重なって自信を無くしてしまう事もあります。
 けれどその一粒も立派に栄養食の納豆群の一員であり、必要とされたからパックにされてお店に並びました。
 私はその納豆を美味しく食べたくて買うのです。

 読み手からすればそんな重いところまで考えないよ!だとは思いますが、そう言ったメッセージをチラ見できるようにぽんと置いておくのが好きなのです。



 今回ブースに足を運んでくださった方からい嬉しい嬉しいお言葉をたくさんいただきました。
 まずは感謝を。
 本当にありがとうございました。


 『 一目惚れしちゃって!』

 『 (絵本の)この子達がかわいすぎて!』

 『 ご自分で描いたんですか?』


 (描きながら感動)

 こうして生の声を貰えるのもイベントならではですよね。
 うまく返答できていた自信はありませんでしたが心から嬉しく思っておりました。


 一目惚れって素敵な言葉ですね。
 アイキャッチができるイラストレーションを生み出せている事にとても自信がわきましたし、モチベーションにもなりました。

 一目惚れですと言ってくださった方に、初対面で失礼ながらもずっと不安に思っていた絵柄の事を伺ってみました。こんな機会はなかなかないですから。
 そのお客様は突然の私からの突拍子もない相談にとても丁寧に言葉を返してくださいました。
 今思えば一目惚れです、と言ってくださったのに絵に自信が無いというようなお話をしてしまって本当に失礼を働きました。
 本当にありがとうございました。


 文学フリマの終了後定番化したカフェでのディナーはちょっとした打ち上げで、それが楽しみの一つでもあります。

 そこで話題になったのが、自分で描いているのか?というお客さまからの問いかけでした。
 これってどう言う意味?と。
 この言葉が嫌なわけはもちろん無くて、純粋にお褒めの言葉なのは理解していつつも私たちは少し気になったのです。

 結論、私も目の前の友人も、創作する事・創作する人間が身近に多くいる事が当たり前になり過ぎていて生み出す事のできる能力は希少である事を忘れているのでは無いかとなりました。

 そうですよね。
 多くの人は当たり前には書かないし、描かないし、自分で入稿して何十部も自費で本を印刷なんてしませんよね。

 それができている情熱のようなものや、こうして得られる喜びを得ている今を私は大切にした方がいいのだな、と改めて思いました。


 こうしてまたイベントを通して新しい何かを得ては、アウトプットをしていけるということ。
 そんな自分に拍手を贈り、見つけてくださったお客様に感謝の思いを忘れずまたひとつ頑張りたいと思っています。


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