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心の依り処

親の声が聞きたくなくて、耳栓代わりにイヤホンを付けて大きな音で外音を遮断しようとした。でもあまり効果はなかった。親の声もイヤホンからの音もうるさいだけだった。

ネットの世界とちゃんと触れたのは高校入る前くらいで、最初はYouTubeで動画を検索することすら緊張した。悪いことをしているような感覚で、初めて検索したのがこちらの動画だ。

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嵐、AKB、KARA、少女時代
はなだん、ゆうこあっちゃん、KARA派?少女時代派?
学校や部活の帰り道はもっぱらそんな話ばかりで、どれにも興味がなかった私は話を合わせるのに必死だった。特にKARAと少女時代の曲はいつもどっちの曲か覚えられなくて苦労した。芸能も音楽も興味はなかった。

そんな私なので、いとこから貰ったWALKMANは3年放置していたし、知ってる歌手はコブクロ、GReeeeN、ゆずくらい。

そんな私がひょんなことから先述の動画と出会い、音楽の世界へ落ちていくきっかけとなった。

当時何も知らなかった私は、RADというバンドを知っている自分に痛々しい優越感があった。みんなは知らない、でも自分だけが知っている、みたいな。特殊なことに思えていた。そんな思春期真っ只中の青臭いメンタリティーはワンオク,時雨,バンプ,サカナクション,amazarashiなどの、いわゆる邦ロックと相性が良かった。

部活で上手くいかない時、クラスで寝たふりをしている時、家にいる時。よく分かんないけど辛い時、音楽を聞いていた。次第に私の中で音楽は大きな居場所となり、イヤホンをせずとも頭の中に何かが流れている状態になっていった。

当時の私にとって、音楽は自分の全てであり、救いであり、居場所だった。

音楽は裏切らない

それは宗教的な信仰に近く、祈りの言葉のように、時にはすがるように、事ある毎にこの言葉が強く浮かんできた。

過度な信仰は、思春期特有の痛さを加速させ、私はより盲目に、より排他的になっていった。家でも登下校中でも授業中でも音楽を聴いた。それが全てだったから。
今思えば私は自分から殻にこもって悲劇を演じ、悦に浸っていたのだろう。ん~。

それから幾ばくか年月が経ち、あの頃から隠し抱いていた夢はいつしか風化し、想い描いていたより何倍も“普通”な道と未来を選んで、今はそのレールの上にいる。

この間に気付いたのは、“満たされていたら欲しない”ということ。私は人生で一番楽しかった、と言えるような時期を経験し、客観的にもかなり充実した何年間を過ごした。しかし、その中でも充実度が高い日々ほど音楽との距離が遠くなったのだ。飽きたわけでもないのに、ただ当たり前のように毎日ずっとしていたイヤホンは電車内のみ、という時期が次第に増えていった。そんな自分に当時の私も気付いていた。そしてその度昔の痛々しい自分が消えていく寂しさを感じた。あれほど盲目的に何かに夢中で必死になれることはもう二度とないことを私は悟った。

昔の自分にとって音楽が唯一の心の依り処だった。

しかし今では、この心を充たすモノは好きな人、好きなもの、好きな場所など、次第に増えてきた。これらが私にとっての幸せであり、生きがいであり、モチベーションそのものだ。心の拠り所はもう一つじゃなくなり、音楽だけで埋めていた穴は今はもう埋まっていたりする。

それでもなお音楽を聴いては興奮し、感動する自分がいる。そんな自分は、映画のエンドロールのその先の存在のようなもののように感じる。
救いを求めずとも歩けるようになってきた私にとって、音楽はこれからどんな存在になるのだろう。