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滋賀に出没した謎のスーツケースおじさん

前職の上司(恩師)に会うため、滋賀の大津にやってきた。約束までの間に少し時間があるので、琵琶湖に行こうと思った。

駅のコインロッカーにスーツケースを入れようとしたが、それが入るサイズの3箇所すべて使用中だ。

この時「駅のコインロッカー3箇所が使用中」という、ことの重大さをあまり理解していなかった。

近くをうろついてみても他にコインロッカーはない。

あ、琵琶湖にスーツケース持って行くしかないのか……。

一人ガラガラとアスファルトの上をスーツケースを引きずり歩く。大津は休日だというのにほとんど人が歩いていない。静かな街で響き渡るスーツケースの音。何とも異様な光景だ。

しばらくすると琵琶湖が目の前に。

あぁ、なんて気持ちがいいのだ。
少し霧がかっているが、たいした問題ではない。

引きずりまわったスーツケースもしばし休憩だ。
それにしても大変なことになった。
こんな重たいスーツケースを運び歩くことになるなんて。

もはや旅人ではなく、業者である。

やっとの思いで大津駅に戻り、恩師と再会するとプリンスホテルに連れて行ってもらった。

滋賀のこんにゃくは赤かった。

美味かった。そしてこう言われた。

元上司「近江八幡は行ったことないの?あそこはぜひ一度は行っておいたほうがいいぞ」

「一度は行っておいた方がいい」という言葉に弱かった。「二度行ってくれ」「三度は行かなきゃ」と言われると気も萎えるが、一度くらいならいいかという気持ちになる。

そして近江八幡駅に到着。最初に探したのは、もちろんコインロッカーだ。今度こそ空いててくれ、頼む!

No way!
I’m shocked!
This is unbelievable!

僕の中の偽アメリカ人が暴れ出す。

滋賀にはコインロッカーないんかい!!

と拡声器で叫びたい気持ちを堪えながらタクシーへ。失意の中で窓の外を眺めていると、おしゃべりな運転手のおじちゃんがずっと声をかけてくる。

タ「この辺なぁ、ある地域を境に一気に屋根瓦増えるで」
僕「……」
タ「何でかわかる?昔からなぁ、地震がないのよ、すごいやろ?こんなところ他ないで」
僕「……へぇ、そうなんですか」
タ「ほら、だんだん雰囲気変わってきたやろ。あそこの塀から松が出とる。あれ、何て言うか知ってる?」
僕「……さぁ、知りません」

タ「あれ『見越しの松』言うてな。屋敷におっては世間のことは分からんから、外にアンテナ張れっちゅう意味や」
僕「……へぇ、なんだか縁起がいいすね!」
タ「ええとこやろ!こんなところ他ないで!布団の西川もメンタームの近江兄弟社もみんなここ近江八幡からよ」
僕「あ、その会社、知ってます。すごいですね!」
タ「すごいやろ、びっくりしたやろ!」

だんだん運転手さんのノリも良くなり、思わず僕もつられてリアクションが大きくなっていった。これだけ自己肯定感というか、わが町肯定感が高い人といると、こっちまで気分が上がる。

タ「今向かってる八幡堀には『クラブハリエ』いう有名な洋菓子屋があってな。そこのバウムクーヘン買うておいたら、もう、手土産でどこに出しても恥ずかしくないで」
僕「へぇ。そうなんですね」
タ「右には『たねや』いう和菓子屋もあってな。そこもめっちゃ美味いよ。そんで左が『クラブハリエ』。そこのバウムクーヘンは、もう、どこに出しても恥ずかしくないからね」

「あ、それ、たった今、聞きましたよ!」とは言わなかった。たぶん、大事なことだから二度言ったに違いない。あるいはかつて手土産でよほど恥ずかしいものを持って行ったに違いない。

そして有名な八幡堀に到着。

たしかに雰囲気が素晴らしい。
情緒豊かな街並みである。

唯一の違和感があるとしたらこれだ。

いや、場違い感すごいわ。

せめて柳行李なら雰囲気的には良かったかもしれないが、これは「RIMOWA」のスーツケースだ。たくさんの人だかりを見渡しても誰一人スーツケースを引きずりながら歩いてる人を見ない。

砂利道の中を、ひたすら引きずり歩く。

「こんな道を転がるようにはできてない!」とスーツケースのキャスター君も怒っている(ような気がする)。ガラガラと砂利道を掻き分ける音が風情を切り裂き、周りへの申し訳なさが募る。

近江商人は「三方よし」を大事にすることで有名だ。
自分よし、相手よし、世間よし。
しかし近江八幡におけるスーツケースは「三方悪し」だ。
自分もいや、スーツケースもいや、みんなもいや。

コインロッカーに預けられないというだけで、こんなに苦行を強いられるとは。情緒がみな敵に見える。失踪中の人間が一番目立ってどうする。

しかし、このテンションのままでは苦痛な思い出しか残らない。気持ちを切り替え「撮り鉄」ならぬ「撮RIMOWA」を目指すことにした。

主役はむしろRIMOWAだ。風情ある街並みのなかで、いかにRIMOWAを引き立たせる写真が撮れるかを至上命題とするカメラマンになりきった。

僕が旅をしているのではない。RIMOWAの旅に僕がついていっているのだ。付き添いのカメラマンとして。

大勢の観光客が通り過ぎていく。「あぁ、あの人はきっと、RIMOWAの宣伝カメラマンなのね」と思われるか「謎のスーツケースおじさん」と思われるかはもはや紙一重だ。そして、おそらくは大半が後者だ。

引きずる音で人の風情を台無しにするのも嫌なので、重いスーツケースを持ち上げて歩いた。旅行ではなく筋トレだ。人々は美しい景色を求め、僕は美しい筋肉を求めた。

そして疲れ果てた心身を癒すべく、左手にあった洋菓子店で「バウムクーヘン」を買い、

右手にあった和菓子屋で、抹茶を飲んだ。

あぁ、これがタクシーの運転手さんの言うてたところやな。まんまと近江商人の戦略に乗っかってしまった気分だ。コインロッカーの少なささえ戦略に思えてきた。でも美味かったから良しとしよう。

夜は長浜の旅館に泊まった。

あぁ、この和室のくつろげる感じがたまらない。

京都に失踪するつもりが、滋賀のお宿に辿り着いた。でも、とても感じのよい旅館で、飯も美味く熟睡した。

今回の旅も終わりに近づいていた。

(つづきはこちら↓)


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