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『初恋』と『silent』

年末、ドラマを2つ観た。
『First Love 初恋』と『silent』。

お察しのとおり、これからこのドラマについて語るので、まだ観ていなくて、スプーン1杯分の事前情報も脳内に入れたくない人は、また機をみて続きをお楽しみいただけたら幸いです。(ネタバレはありません)

もちろん両作品とも、すでに十分すぎるほど話題になっているし、事立てて言うほどのことは何もない。ただ好きなように感想を述べて、まだ観ていない人におすすめしたいだけだ。

M-1グランプリで優勝したウエストランドがネタの中で
「恋愛映画にパターンなんかないよ、全部一緒だから。
 (中略)あとは重い病気になるやつだけ。悲しいだけだよ、あんなの」

と笑いを生み出していたが、人によっては、そういう括りに入れてしまえるものかもしれない。

たしかに重い病気と恋愛ドラマの掛け算にはズルさがつきまとう。でもこの2つの作品は、そういう括りでは片付けられないほどに、素晴らしい何かがあった。

タイトルを並列したのは、両者を比べたいからじゃなくて、どちらもおすすめしたいから。その思いを込めてヘッダー画像も自分なりに描こうと思った。年末にインフルエンザに感染したため、画材を取り出す余力もなく、手元にあった年金機構のお知らせの裏面に書いた落書きみたいなものになってしまった。

両作品には「重い病気」という表面的な共通点以外に、何が通底しているのかをすくい取ってみたいという自由研究である。ひとまず5つにまとめてみたが、また増えていく可能性はあることをご了承ください。

1.現在と過去のシームレスな往来

現在と過去を自由に往来できるのは映像の特権である。映像はタイムマシンなのだ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいに時速88マイルでデロリアンを走らせなくても、次のカットで未来や過去に行ったって誰も文句は言わない。

両作品とも『学生時代』の過去と『大人』になった現在のシーンを往来する。この繋ぎ目を感じさせないシームレスな往来が2つの作品とも素晴らしいのだ。なぜ今があるのか、過去を紐解いていくことで次第に見えてくる仕掛けが素晴らしい。人間というのは変化する生き物だから。

どちらもわざわざ『●年前』とか日付を入れない。(初恋はもっと時系列が複雑なので必要最低限出していたが)その不親切さが一層の没入感を生み出していくのである。不親切にも正義はあるのだ。

特に個人的には『silent』の、急に訪れる、短い尺の回想シーンが最高に美しかった。

2.どこに劇伴を乗せるか

映画やテレビドラマなどの劇中で流れる音楽のことを「劇伴」という。映像作品のBGMと言ってもいい。この劇伴の曲そのものも、その劇伴をどのタイミングで使うかも本当に素晴らしかった。

サントラあれば買いたい。出してくれ。
もはや感想というか、要望である。

『silent』も手話シーンが続く時、まるで放送事故ばりに無音が続くが、それでも大切なものを守るようにサイレントを貫く。そして、ふと、あるタイミングで劇伴を差し込んでくる。一気に感情が溢れ出す。「緊張と緩和」の教科書みたいだ。

そして宇多田ヒカルの『First Love』、髭男の『subtitle』が何とも絶妙なタイミングで放り込まれる。決してその曲に頼りすぎないドラマの力強さによって、一層、この曲がコクとなって深い味わいをもたらしてくれる。

3.決定的な1つのシーンが全シーンを支える

ドラマというのはもちろんフィクションだ。実際にあった話ではないということをみんなが承知の上で楽しんでいる。でも、その物語に込められた真実やメッセージを届けるために、つくり手の方々や役者の方は、全身全霊でその世界を表現する。情熱に裏付けられた技術によって、観客は「たしかにそこにあるもの」として泣いたり、笑ったり、信じる。それが時としてある1シーンの説得力が全シーンを支えるのだなという面白さを感じた。

ここではキャストに絞って少し触れさせてもらうと・・・

『初恋』の第一話で野口也英がタクシー乗りながら妊娠中の女性に語りかけるシーン。「きっと産まれたら毎日がクリスマスです」の表情。この演技が最高なのだ。4回はリピートして観た。そこで彼女の人柄と息子に対する想い、その後の物語のすべてを支える力があった。

他にも第八話の占部旺太郎が野口也英にエールを送るシーン。「みっともなくたって、人生は飛び込まなくっちゃ」これがずっと自分の気持ちを押さえていた彼女に1つの勇気をもたらしてくれる。もうあのシーンがあったら勇気出ないわけがない。濱田岳さんの優しい穏やかなトーンから激しくなっていくあの変化はもう何度も見返したくらい好きだ。

『silent』でいえば第一話の告白シーンと第三話のラストシーン。この2つがこのドラマの大きな筋を支えているように感じた。青羽紬ちゃんと佐倉想くんの告白時のキュートなやりとりで一気に2人の恋を信じさせてくれる。最後まで応援したくなる。

そして第三話のラストシーン。高校時代の戸川湊斗くんが佐倉想くんを呼びかけて無視されて笑顔になるあの最高の名シーンが強い友情関係に説得力をもたらした。

最強の恋愛関係と最強の友情関係が、結果として誰も悪くない対立構造を生み出し、この作品の幹となる切なさをつくりだしていたように感じて素晴らしかった。

4.夏帆の存在

そして両作品に登場する夏帆の存在が際立って素晴らしく物語を盛り上げてくれる。いや、もう『silent』にいたっては、桃野奈々さんにもう一度会いたくて、もう一度観たいとさえ思っている。

特に第六話のラストシーン、佐倉想くんの前で電話をかけるシーンの目の動きが半端じゃない。あんな左右にブレる目の動きで感情を表現するなんて信じられない。

いつか、一緒に仕事したいと強く思った。
もはや感想というか、片思いである。

5.恋愛以前、人としてのあり方の物語

そして、2つの作品とも恋愛ドラマ以前に、人としてどうあるべきかじゃなくて、どうありたいかを問うてくる共通のメッセージを感じた。

決して押し付けがましいメッセージではない。とても優しく、そして、でもとても強いメッセージを受け取った。「主演の2人とそれを引き立てるその他大勢」ではないのだ。ご都合的に存在するのではなく、それぞれの人生をちゃんと生きてちゃんと変化していくその様が心から感動した。

哲学者のエーリッヒ・フロムはこんなことを言っている。

愛とは相手と一体化することではなく、相手との「断絶」を受け入れたうえで、なお、能動的に克服しようとする試みである」

(最近、宇都宮がフロムの本を読んだ上でかなり咀嚼した言葉)

フロムのメッセージをこの2つの作品はまさに体現しているように思えた。

僕は自分の未熟さを痛感するとともに、もっと、ちゃんと人と向き合って、そして分かり合えないかもしれないけど、時間をかけてわかり合おうと努力することを諦めちゃいけないなと思った。

今こそ学びたい。
もっと素直になろう、と。
もっと向き合おう、と。

そして映像の力をまた改めて信じさせてくれた制作者へのリスペクトをもって、自分も映像の仕事を頑張ろうと思えた。ありがとう。

追伸
これで2022年の東京夜時はお開きとなります。いつも読んでくださる方も、初めましての方も、最後までお付き合いくださってありがとうございました。どうぞ良いお年を。そして、来年もまたよろしくお願いします。


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