心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その52

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その51

 学校警備員
 経営を立て直す自信のなかった書店は営業譲渡という形でうまく撤退することができて、その点は幸運だったと思うし、判断としても正しかったように思う。
 でも、情けないことなのだけど、その後何をめざそうという考えはなかった。教員に戻るのも強迫性障害という病気を抱えていては全然勤まる自信はなく、とは言うものの、それではどんな仕事をするのかということに関しては、あまり建設的な考えはなかった。 「とりあえず何かの仕事につかなければ」、ということでぼんやり考えていたら、週刊誌だか夕刊紙に中高年で失業した人がつく仕事として「飲食業か警備士」があげられていたのを思い出した。
「飲食業よりは警備士の方がただぼんやり立っているだけという場面も多そうだし、なんとか勤まるかな」
「強迫性障害をかかえている自分のような不器用な人でも通用するのは警備士の方かもしれない」
 なんとなくそんな気がして、とりあえず警備会社の面接を受けることにして、S警備という会社に採用された。
 配属されたのは、小中学校だった。
 朝夕、中学校の登下校の時間には、中学校の門の前で立哨(立っていること)し、それ以外はその近くの小学校の門前で立哨し、時々学校の周りを巡回するというのが、仕事の内容だった。
 基本的に非常に暇で退屈な仕事なのだが、ぼんやりしているのが好きな自分に向いていると言えないこともない。
 こんな時、「将棋くん」が出てくれば、「チャンスだ。詰将棋とか課題局面を頭の中に入れておいて、立哨しながら考え続ければ、将棋が強くなれる」ということを提案するだろう。
 でも、「将棋くん」はどこかに隠れていて出てこなかったし、「元奨くん」が出てきて無念の思いに脳やこころが占領されることもなかった。
 仕事中は、何をするでもなくぼんやり立っていることが多かった。
 が、たまには面白いこともあった。

 気候のいい春のある日、私はいつものように警備員の制服を着てA小学校の通用門の前で立哨していた。
 校舎の方から変な歌が聞こえてきた。

 メーリさんのブルドッグ、ブルドッグ、ブルドッグ。
 メーリさんのブルドッグはおいしいな。
 (『メリーさんの羊』のメロディーで)

 その頃、毎日のようにこの歌が聞こえてきた。
 「なんだか面白い歌だなあ。どこで歌っているんだろう」と思って校舎の方を振り返ると、3階の窓のところにあった人影がさっと隠れた。
 しばらくすると、また、例の歌が聞こえてきた。そこで、今度はさっきよりも素早く振り返ると、窓の人影はもっと素早く隠れた。
 そんなことが3~4回続いたが、しばらくするとチャイムの音がして、歌は聞こえなくなった。
「歌っていたのは生徒で、歌っていた場所は3階の廊下の窓の近く、チャイムの音で教室に入った」たぶんそんなところなのだろう。
 なんで羊でなくてブルドッグなのかな。「可愛いな」じゃなくて「おいしいな」なのかな。子どもは面白いことを考えるものだ。なんて思いつつ、その歌を聞いたり、さっと振り返って生徒が慌てて隠れる様子を見たりするのが、その頃の仕事をしている時の一番の楽しみになった。けっこう、毎日のようにあの歌を聞いていて、何回聞いても楽しい気持ちになっていた。
 一番の楽しみというと大げさに聞こえるかもしれないけど、警備の仕事はだいたい黙って立っているばかりで退屈なので、本当にそうだった。
 生徒たちは、飽きずに同じ歌ばかり歌っている。よほどあの歌が気に入っているのかな。でも、それにしても変な歌が好きだな。まあ、自分も小学生の頃は『気違いの歌』なんていう変な歌を歌っていたし、人のことは言えないなあ。ああいう変なことが好きになる年頃なのかな。
 なんて思いながら、楽しく生徒たちの歌を聞いていた。

 だが、ある時、大人が5年生くらいの男子生徒を5名連れて、自分が立哨していた校門のところに来た。生徒たちは、やんちゃ坊主みたいなかわいい子どもたちで、大人の方は、若い小柄な女の先生だった。目がぱっちりとしていて利発そうな印象の人だった。
 先生が静かに「警備員さんに謝りなさい」と言うと、生徒たちは「変なことを言ってごめんなさい」と頭を下げながら言った。
 私が「何を言ったんですか」と聞くと、生徒たちはもじもじしていたが、その中の一人が「ブルドッグ」と答えた。
 私は、「ブルドッグの歌は本当に面白いですねえ。毎日あの歌を聞くのを楽しみにしているので、是非とも続けて欲しい」なんて正直に言いそうになったが、それは思いとどまり、「全然、気にしていないから大丈夫ですよ」と言った。
 先生は、「私が発見したので、謝らせようと思って連れてきました」と言い、私はまた、「全然、気にしてないです。わざわざ謝りに来られると恐縮してしまいます」と答えた。
 先生と生徒たちは、お辞儀をしてから校舎の中へ戻って行った。

 もう、あの面白い歌を聴くことはできないかもしれない。
 「やっぱり、常識的に考えると大人をからかっているみたいな行動だから、ああやって指導しないといけないんだな。自分はもう辞めてしまったが学校の先生は大変なんだな」「でも、それはそれで大切なことなんだろうな」と思いつつ、「学校警備の楽しみが一つ減ってしまうかも。ちょっと残念」とも思った。
 あの生徒たちは、ああやって変な歌を歌っているのが楽しかったのだろう。まさに無邪気で無心で、ただただ自分がやりたいことをやって楽しんでいるようだった。
 歌を歌う生徒たちのことをあれこれ想っていたら、自分は、あの時のことを想い出した。
 小学生の頃、友だちと3人で樹がうっそうと茂るI将棋クラブの近くの小さな神社に行き、植木の周りに石が円形に置いてあるところで、石の上を小走りに走ってぐるぐる回りつつ手を顔の横でぶらぶらさせる変なポーズをとりながら、「わー、キチガイキチガイ」なんて叫んでいた、あの時。
 「幸せなとは何か」と突然誰かに聞かれたら、自分はあの時のことを答えるだろう。
 あの小学生たちも大人になったらこの時のことを、「幸せな時」として想い出すのだろうか。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その53

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