心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その40

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その39

 将棋ジャーナル編集部
 代ゼミを辞めて将棋ジャーナルの編集部に入ることがわかると、予想通り父は反対した。
「将棋連盟の機関紙かなんかだったらいいけど、そんな『ナントカジャーナル』じゃ駄目だ」
「日本では風来坊はなかなか受け入れられないんだよ」
 風来坊がどうして自分の転職と関係があるのかあんまりよくわからなかったが、なんとなく父が言いそうなことだと思った。
 別に何か言ってもどうなるものでもないと思い特に反論しなかったが、父の意見を参考にすることもなかった。
 一方、大学院時代からつき合ったガールフレンドには振られてしまった。
 タイミングから言って、転職が原因だと思う。
 なんだか寂しいなと思った。この頃キャバクラに行って、店の女の子から「すごい寂しそうな顔をしている」と言われたのを思い出す。
 ただし、この時は、「寂しいな」とは思ったが「女は怖いから近寄らないのが一番」とは思わなかった。自分は、付き合っている女の子から怒られたりバカにされたり振られたりしても「まあ、こんなものだろう」と思うだけでほとんど「女は怖い」と思うことがない。一方、母からヒステリックに怒られたり、ねっとりとした嫌らしい口調で箸にも棒にもかからない程度の低い教訓のようなことをどや顔で威張り腐って言われると「女はバカだから怖い」としみじみ思う。そこのところは、やはりマザコンなのかもしれない。
 将棋ジャーナルでの自分の仕事は、編集者兼ライター兼カメラマン兼集金係、といった感じだった。集金係というのは、1か月に1回、都内の将棋クラブを回って、将棋クラブに置かせてもらっていた『将棋ジャーナル』の売れ残りを引き取ると同時に売れた冊数を数え、その冊数分の現金を受けとる仕事で、売れ残りの雑誌を積むために自分の車を使った。
 代々木ゼミナールでやっていた仕事よりも向いていて、いろいろな立場の人からわりあい評価されていたような気がする。社長兼編集長のYさんは自分のいないところで、「中井君が入って助かった」と言っていたそうだ。
 Yさんは、長身で銀縁のメガネをかけた40代後半の人で、酒を飲んでいない時は、真面目で堅い仕事をしている大企業の管理職のようなキャラクターだったが、酒を飲むと、時々支離滅裂なことを言って周囲を困らせたりしていた。「あの人は原稿料を請求しないからいい人だ」「あの人は腰が低いからいい人だ」等自己中心的で表面的な考え方を堂々と語るところがあり、年をとってもそれでやっていかれて、小さいかもしれないがちゃんと出版社を経営していたのが不思議だった。
 でも、かなりの人手不足で、120ページくらいある雑誌のうち半分くらいのページは、ペンネームを使ったり誰かのゴーストライターをしたりして自分で書いたり、自分が撮った写真を載せたりしていた。
 給料は月18万で、代ゼミにいた時とほぼ同額だったがボーナスとか厚生年金がないので、将来自分が経営者になってある程度利益が出るように工夫するか、それともフリーになって売れる本を書くようにならないと駄目だと思っていたが、この仕事で力をつければなんとかなるのではないかというかなり楽観的な見通しを持っていた。
 が、社長の様子を見ているとどうも経営状態が思わしくないのが伝わってくる。
 時々『将棋ジャーナル』の過去の号を広げて見ながら、「おかしい、どうしてこれで売れないんだろう」なんて渋い顔でぶつぶつ言っていた。
 社員がいる前でそんな様子を見せたら、社員が動揺してよろしくないような気がするが、そういうところには気が回らない人だったのだろう。
 Yさんは将棋ジャーナル社を前の経営者から引き継ぐ前は、リコーにいて将棋部の世話役のようなことをしていたらしく、資金不足に陥るとリコーの将棋部の親しい後輩から100万円程度貸してもらっていたこともあった。そういう時社長は、「なかなかできることではない。偉い奴だ」とほめていた。
 ある時、「今度の日曜日の大会は自分で取材するから、中井君は休んでいい」と言われ社長にまかせて休み、月曜日に出社すると社長は編集部の床の上で寝ていた。自分が入ってきたのに気がついて立ち上がったが、酒の飲みすぎで、ふらふらしている様子だった。
「昨日の取材はどうでしたか」
「うん、成績表をなくしちゃったんでファックスで送ってもらってくれ」
「はい」
 ということで、大会運営者のところに電話をしてファックスで成績表を送ってもらった。
 ファックスで送られてきたものを見ると状態がよくなく、ところどころかすれて字が読めないがそのまま社長に渡した。 
「読めないじゃないか。えー。こういう時は、人に渡す前に、電話で訊いたりして調べて書き込んでから渡すのが親切というものじゃないか」
 と社長はイライラしながら叱りつけた。
「でも、社長はこの大会に行ってきたんだから、社長が覚えているところを書き込んで、それでもわからないところがあったら電話で聞くようにしたらいいんじゃないですか」
 と言おうとしたが、そうするとさらに怒られそうなので、大会運営者に電話することにした。
 一時が万事こんな調子だった。
 自分が入る前は、毎号雑誌が発行できるかどうかの綱渡りでいろいろな人に仕事を頼んだりして一生懸命やっていたようだが、どうも自分が入ってから調子がおかしくなったようだ。
 日常的な雑誌の編集にゆとりが出てきたぶん、新しい企画を考えるとか、どこかに広告営業に行くとか、必要な仕事を見つけてどんどん動いていくべきなのだがどうもそういうふうにならない。
 この調子では、この会社は長いこともたないだろうと思った。
 実際社長の様子を見ていると、どうも投げやりでもうすぐ仕事をほっぽり出しそうな雰囲気だ。
 でも、自分が社長兼編集長になってうまく経営できるかと言えば全然自信がない。経営状態を立て直す方法が全然思い浮かばなかったのである。
 そんなわけで、また転職を考えるようになった。
 転職先は、やはり塾・予備校業界に戻るしかないと思った。
 将棋マスコミ業界も、『将棋ジャーナル』の編集を続けながら少しずつフリーになった時にやる仕事を開拓していくとか、どこか別の雑誌の編集部に空きが出た時にうまく入り込むとかいうことができれば、この業界で生きていかれるかもしれないが、今すぐ仕事を探してもうまくいかないだろうと判断した。それはごく常識的で妥当な判断だったと思う。
 今度は、就職してすぐに自分の都合で辞めるわけではなくちゃんと事情があって辞めるのだから、ちゃんと説明すればどこかの学習塾等で雇ってくれそうな気がしていた。
 それを社長に話したら、わりあい納得していた。
 社長自身『将棋ジャーナル』から手を引いて、他の人にやってもらうように動くつもりでいたようで、「あと2ヶ月くらいで経営者がかわるから、その時に辞めるようにして欲しい」と言われ、そうすることにした。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その41

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?