『映画演技について─身体が、内面のきざしを見せる』意味の境をこえる身体へ のきろく#2
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『映画演技について─身体が、内面のきざしを見せる』意味の境をこえる身体へ のきろく#2

東京で(国)境をこえる Beyond Invisible Borders
『意味の境をこえる身体へ』は、アートプロジェクト『東京で(国)境をこえる』のメインプログラム、『kyodo 20_30』から派生した企画です。

この企画は2020年度の『kyodo 20_30』の活動の中で、参加者が共同制作のプランを考えたときに発案されました。2020年度は新型コロナウイルスの感染拡大により実現できなかったので、今年度の『kyodo 20_30』でフリンジプログラムとして実施しています。
noteでは、その活動の記録を企画参加者が執筆していきます。
#1はこちらで読めます。この企画のコンセプトを説明しています。

こんにちは。『意味の境をこえる身体へ』代表の蔣雯(ジャン ウェン)です。
俳優と映像作家として活動しています。今は東京藝術大学映像研究科博士課程に在籍しています。

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10月31日に、二回目の撮影がありました。私は今回の撮影のあと、映画演技の特徴について色々考えました。
映画演技と演劇の演技の根本的な違いは、時空が連続しているか、していないかの違いです。演劇の俳優は比較的連続した時間(一幕)と、現実世界と繋がっている空間(舞台)という連続した時空で演技するのに対して、映画俳優は1カットの時間で、フレーミングされた虚構の空間という断片的な時空で演技をします。

例えば、俳優は一カットの時間で、しかも途切れ途切れに、時には逆の順番で演技をしなければなりません。これが映画演技の時間的な断片性を生みます。また映画演技の空間的な断片性は、俳優がカメラやスタッフなどの現実世界がすぐ目の前にある環境でフィクションの世界を演じなければならないことから生じます。

言い換えれば、映画俳優の演技は断片の中だけで成立し、そしてその断片の中だけで成立すれば良いのです。それは私が、撮影現場では肉眼よりもモニターを通して俳優の演技を見たいと思う理由でもあります。

このような時空の断片の中で演技するということは、映画俳優は演劇の俳優と比べて、連続的な心理的創作、つまり役として居続けるのが難しいです。
さらに、俳優の演技身体にフレーミングなどの演出が関与されているので、心理的な創作が思う通りに再現されない可能性が大きいです。
最後に、自分が見たいことしか見えない人間の肉眼と比べると、カメラという機械の目は極めて無機質で残酷なもので、嘘の気持ちはひとかけらでもカメラに見極められてしまうのです。その意味で、私は映画俳優に心理的な演技をしてほしくないです。特に「気持ちの演技」をしてほしくないです。身体がまだできていないのに、想像でその気持ちを演技すると、カメラはそれが嘘の気持ちだと敏感に察知するからです。

もし心理から演技の創作過程を一つの回路にしてみるとしたら、「反省(役作り)—感情(動機作り)—行動(演技)—事故(脚本を実現)」といった脳が主導する回路になります。しかし本来の世界はその逆です。思わず何かの熱いものを触った時のリアクションを考えてみれば、体の自然な反応は「事故—行動—感情—反省」といった身体先行の回路だということがわかります。
気持ちから演技するというのは、心理を可視化するための演技です。その時、身体は意味の記号になってしまって、このような演技は理解しやすいが信じられないものです。もちろん、映画演技に気持ちがあってはいけないという意味ではありません。気持ちは想像や心理的な創造によるものではなく、行動がもたらす事後的なものであるべきだと思います。

私は、演技は俳優が内面で感じたことが身体の表徴として「現れる」ことだと考えています。「現れる」という言葉を選んだ理由は、演技は「見せる」という能動的な行為ではなくて、事後的、受動的なことだと考えているからです。つまり、私たちができるのは、ただ身体に「行動」を起こす環境を作ってあげることで、あとは劇の訪れを待つしかできないのです。

以上が私の今回の撮影感想で、特に俳優組とこれを分かち合いたいと思います。ショットムービープログラムの一つの目的は演技の勉強会だと思います。私がいいと思っている演技法は、他の俳優はそう思っていないかもしれません。
演技について色々実験したり、ディスカッションしたりすることで、みんなのショットムービープログラムになると思います。そして、どうでもいい話ですが、実は私は演出より俳優の仕事が好きです。

*「ショットムービー」は英語の造語で「shot movie」です。意味はショット(瞬間的な断片)が重なることでムービー(映画)になることです。もっと言えば、それだけでは意味を持たない非意味的なショットが重なることで必然的にムービー(物語)になってしまうということです。

この活動に興味を持った方がいたら、ぜひ『kyodo 20_30』に見学にきてください。詳しくはこの記事で紹介しています。👇

執筆者:蔣雯 俳優/映像作家 東京藝術大学大学院映像研究科博士課程在籍
「意味の境をこえる身体へ」ショットムービープログラム代表

東京で(国)境をこえる Beyond Invisible Borders
東京にある「見えない(国)境、壁」について考察し、アクションを起こすアートプロジェクト。活動拠点は、世田谷区経堂です。/An art project Beyond Invisible Borders. Based in Kyodo, Setagaya.