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「生きている意味」を考えてみたら、楽になった😌

生きている意味や、その目的が疑問だったので考えてみました。

考えてみた結果、今の自分なりの答えを見つけたと思います。

『生きる意味や目的は、個人がそれぞれ自由に決めていいもの。意味や目的はなくてもいい。』(「人」と言う種族の目的は増殖すること。)

この答えに至った経緯を書いていきます_φ(・_・




人は人である前に、生き物で動物です。

動物の生きる意味・本能・目的は増殖することだと言われています。

それなら人が生きる目的も増殖することなのでしょうか




「人が生きる目的は、増殖するためである」 

と仮説を立ててみました。

繁殖するには、異性にモテる必要があります。今の世の中、モテるには、お金持ちになるか、見た目を美しく磨くか、モテる為に何かしらの努力が必要です。

そう考えると、モテない人間はなんの為に生きているのか、モテる努力をしない生き方はなんなのかと疑問を持ってしまいます。

モテる為に生きるのが、本質的な生き方なのでしょうか。

しかし、ある特定の個体だけがモテてた場合、多様性は失われてしまうので、その個体が環境の変化に対応できなかった時、「種」全体が絶滅してしまうことになります。

また、モテる個体が何かしらの理由で繁殖が出来なかった時もその種は絶滅してしまいます。

なので、種を絶滅させず、増殖を続けるには、多様性が必要不可欠と言うわけです。



どうやら、「個」として、より多くの子孫を残したい本能と、「種」として、より多くの子孫を残したい本能がありそうです。

生き物には「種」として増殖することが目的としてありますが、多様性が失われると種全体が絶滅してしまうので、「個」がそれぞれ多種多様に生きても、それはそれで本質的であると言うわけです。

モテることを目的としない生き方があったとしても、それも本質的であると言えます。

つまり、生き物の生き方に正解はなく、それぞれが多種多様に生きる生き方は、本質的であるのです。

「生きる意味や目的はなんなのか?」と言う問いに振り返ると、「生きる意味も目的もそれぞれが自由に決めていいもの」なのです。



生きてる意味を考えるようになったきっかけ

生きたいと思わなくなったことがきっかけです。

それまでも、人生に意味はないと思っていましたが、人生に意味がない事に疑問を持たず、それはそう言うものだと割り切って人生を楽しんでいました。

しかし、社会で生きていく為に出来ないことが多く、無自覚のうちにストレスを抱えていました。

気づくと、社会不適合で弱い生き物として淘汰されてしまっても仕方のない存在であると思うようになり、意味のない場所で生きていても意味はないのだから、辛かったら生きなくてもいいのではないと言うと考えに至りました。

生きることに限界を感じていることを、家族に話したところ「いるだけでいい」と言ってくれたので、とりあえず、何もしない状態でも生きてみる事にしました。

元気が戻ってきて、こうやって生きてる意味を改めて考えてみた結果、自然界では弱者が淘汰される事が普通であっても、社会不適合であっても、そう主観的に思っているだけだとしても、それは多様性の一つなので、生き方として本質的であると言う、自分なりの答えを見つけました。

経験して考えた結果、今までよりも、もっと自由に生きていける気がします。

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