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人生を評価するものとは? / スケールとパーソン

僕は、僕の人生が何かや誰かに評価されている気がして悩む事が度々あります。

なので今回は、人生を評価するものとは何なのかを考えてみました。






何かを評価するにはスケール(物差し)が必要です。

何かを測るとき、物差しが対象より大きければ簡単に測る事が出来ます。

りんごの様な、自分より小さいモノを、自分よりも小さい物差しを持って測るのは簡単です。

物差しが対象より小さい時でも、対象の全体が分かれば測る事ができます。

大きなビルでも、算数ができて、その全体の形が分かっていれば、測る事ができます。


それでは、全体が見えないモノや分からないモノを測る事は出来るのでしょうか。


例えばそれが、人の人生だった時です。

僕たちは、宇宙スケールの中の、太陽系スケールの中の、地球スケールの中の、生き物スケールの中の、人間スケールの中の、時代スケールの、国、地域、会社、学校、家族スケールの中で生きています。


1人の人間の人生を、様々なスケールで見てみます。

○宇宙や地球スケール
1人の人間の人生は、何でもない、大きな流れの中の見えない粒です。

○社会スケール
1人の人間の人生は、何者かの人生です。人間の歴史に名前を残すことがなかったとしても、その時代のどこかで、誰かに認知された人生です。

○家族スケール
1人の人間の人生は、確実に周りに影響を与える何者かの人生です。当たり前に名前は知られていて、その人はそのスケールの中で大きな影響を持つ何者かです。

その人が30人集めることが出来れば、その人は学校や会社でも大きな影響を持つ何者かになります。

その人が1000人集めることが出来れば、その人は地域でも大きな影響を持つ何者かになります。

その人が、1000万人集めることが出来れば、その人は国や世界でも大きな影響を持つ何者かになります。


最初の問いに戻って、僕の人生が何に評価されているのか考えて見ると、宇宙や地球のスケールには測られていませんでした。

僕の人生は、社会のスケールで大まかに測られていて、自身が影響を与えられる範囲のスケールでより細かく測られている様です。





今の時代、人は社会で生まれ、社会で生活し、常に社会のスケールに測られながら生きています。

社会に測られて評価される事が嫌なのなら、社会から出て、山の様な人里離れた場所で生活すれば解決するかもしれません。

山で暮らし、地球のスケールで人生を考えた時、人生は測れるほどのモノでもないから、何にも測られないと思うと、とても自由で楽です。

しかし、社会で生まれ育ってきた人間が、1人山で生きていくのは困難で孤独です。存在意義を社会のスケールから見出していたのなら、その存在意義を再度考え直す必要も出てくるでしょう。

社会のスケールを捨てたいのに、山に行けないのなら、社会の評価を気にしない様にする生き方が答えなのでしょうか。社会で生きつつ社会の評価を気にしない様にするには、どうしたらいいのでしょうか。

考えた結果、ニーチェの言う様な「超人」を目指したいと思いました。


考えや感想など気軽にコメント貰えたら嬉しいです!
最後まで読んで頂きありがとうございました^^

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