かゑる

築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした87 柳家かゑる

7月から地元川口でラジオ番組がスタートした柳家かゑるさん。FM川口のスタジオにお邪魔しました。
 落語との出会いは中2の時にテレビで観た「NHK新人演芸大賞」の立川志ら乃兄さんです。「たぬき」を演っていて、面白くてほんとにあっという間でした。でも当時はお笑い芸人になりたくて。テレビで観たお笑いのネタをすぐ覚えて、友達の前で演るんです。それを音楽の先生が見ていて、「菅野くんはひとりで何役もやって、落語家に向いてるんじゃないの」って言ったんです。その先生が落語好きで、家にCDとかテープを山ほど持っていて、それをダビングしてくれて聴くように。そうなると寄席にも行ってみたくなって、父親にせがんで浅草の正月二之席、初めて寄席に連れて行ってもらいました。
 中3の時には落語家になるって公言していて、卒業文集にも「落語と私」っていう題で志ん生師匠の似顔絵と将来落語家になります! って書いていました。卒業してすぐの「笑点」に新真打の口上で師匠・獅堂が出たんですよ。その時はこんなふざけた格好の人が落語家なのかって、ちょっと腹立たしかったんです。高校入学後、部活(柔道部)が休みの日に池袋演芸場へ行ったんです。それがたまたま師匠の披露目の千秋楽。披露目なのですごいメンツだったんですけど、全部見終わった後「獅堂師匠すごい!︎」って、その場で楽屋へ訪ねて行ったんです。その時の僕の格好が赤ジャージに、足を骨折していたんで松葉杖。「落語家になるより新日に入ったほうがいいんじゃない?」って、師匠らしい返しがきましたね。そこでこの人の弟子になろうと決めました。
 高校生の頃は夏休みとか部活のない日だけ行ってました。高3で部活を引退してから初めてちゃんと大師匠・馬風のところへ挨拶に行って、そこで名前をいただきました。
 前座の頃はほとんど師匠と会えず、ほぼ大師匠の家に行っていました。そのおかげでお供も多かったんですが、大師匠のお弁当を食べちゃったり、お弁当を食べてて新幹線に乗り遅れそうになったりと、しくじりは結構しています。「お前は何かと弁当だ。食べ物のことでこんなに怒ったの初めてだ」って、旅から帰って来て笑いながらおかみさんに話していました。
 上方の方との交流が増えているので、あちらの噺をもっとこちらに持ってきたいです。今ざこば師匠に教わった「遊山船」を稽古中で、9月11日の独演会で演る予定ですので聴きにいらしてください!

●「おかずクラブ」のオカリナさんが大好きで大好きで……どうにか仲良くなれないかなっていつも考えてます。知り合いの方いらしたら紹介してください!(本人談)


本名=菅野兆司。1990年6月13日生まれ。埼玉県川口市出身。県立川口高校在学中の2007年4月、柳家獅堂に入門、08年10月11日「いっぽん」。09年7月楽屋入り。13年二ツ目に昇進して「かゑる」。出囃子は「ケロッ!とマーチ」。紋は鈴。血液型はO。

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