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消費するアートとしての食
こんなご時世で恐縮だが、折角の長い夏休みと欧州に居る利点を活かして、ちょっと旅に出ていた。
旅行の醍醐味は色々あるのだけど、特に楽しみなのが”食”だ。
土地の文化や歴史、それに今の空気感までがぎゅっと凝縮されて表現されている。しかも、口にすることで、その風土と一体化することが出来る。
更に、必要とされているのは、五感全部。
目で鼻で耳で触感で愛でて、愛でて、気持ちを動かす。
久々にミシュランのお店にもお邪魔した。一つ星でランチだから、お得なやつ。今どきはどこでもミシュランがあるし、どの都市もそれを売りにしようと頑張ってる。
観光客が少ないおかげもあるが、日本と違って海外は何年も予約待ち、なんてことはあまりないように思う。有難く、前日に予約して飛び込んだ。
その経験が、まさに美術館で絵画を鑑賞したり、コンサートで音楽を聴いたり、演劇を見た時のような高揚感だった。心満たされる爽やかな読了感と共に。
ただ、ご飯が美味しいだけじゃなくて、美しいものを、美しい環境のもと、考えられた演出で。
そこには店が実現したいコンセプト・メッセージがある。
あ、これはアートなんだ、と腑に落ちた。
アートだから、完全に嗜好品。
だから星が多すぎるのは私にはトゥーマッチ。アートにどこまでお金を掛けられるかはその人の価値観次第。
でも、アートにお金を掛けること自体は、とても人間的な行為だと思う。だから、たまには街中の定食屋さんではなく、アートを目指す食も愛でたい。それは自分を大切にするだけなく、自分の感性を磨くことにもなるから。
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