見出し画像

東京宝山をはじめた理由。

先日、あるオーナーシェフさんが、お店のスタッフの方に言われた言葉。

「『荻澤さんが東京宝山をはじめた理由』をまず聞いて欲しい」
といわれるのを聞いて、

「あ、そうだ。私にお肉を発注してくださっている方は
 お肉そのものの評価だけじゃなくて、その背景にいる生産者さんや、
 その想いや取り組みに対しての応援のつもりで発注してくれているんだ」

って改めて気づくことができました。
ありがたく、初心を思い出させて頂く時間。

今から10年前、いわて門崎丑牧場の枝肉営業という立場で
枝肉に初めて向き合った時の衝撃の大きさと、
その枝肉の背景にある、たくさんの人たちの想いと努力。

その時の自分が知っている牛の品種は、黒毛和牛のみでした。
憧れる問屋さんに買ってもらえれば、凄い嬉しくて、
僅かなアルバイト代をはたいてお肉を追いかけて、
買いに行ったり、食べに行ったり。
どう考えても稼ぎと、使うお金がバランス合うわけありません。
本当に貧しかった。笑

自分が育てたわけじゃないのに、訳も分からない中、営業していただけでも
あれだけ嬉しかったんだから、苦労して育てた人たちはもっと嬉しいだろうって、一生懸命、セリの報告書を書いて。

そして、そんな活動を続けていたら、
「お前は本当に変わったヤツだ」と面白がってくれた門崎丑牧場の社長が、
宝山という餌会社を生産者仲間5人で立ち上げるときに、
「お前、俺たちのお肉売ってみるか?」と声をかけてくれたことで、
田村牧場の短角牛に出会うことができ、また世界が広がりました。
そうやって、短角牛という赤身品種に出会ったことで、
いろんな気付きを得させてもらい、続いて、
ジャージーに出会うことで、さらにたくさんの繫がりができました。

岩手・奥中山の酪農家、三谷さんから聞いたジャージー雄の運命の話と、
たまたま食べたジャージー牛のお肉の美味しさで感じたジャージーの可能性。
そうしたら、自分が飼ってみようか?って言ってくれた中屋敷さん。
そのリスク全部を生産者さんに背負わせるのは本意じゃなかったので、
相談して、導入代・餌代を折半して、お肉になったときも折半しよう、と。
そうすることで、立場や努力する部分は違えど、リスクもやりがいも半分ずつ。
でも、そうなると、頂くお給料だけでやっていくことは到底無理だったので、必要に迫られて、東京宝山として、独立しました。

それまでの3年間、宝山・東京事務所時代で築いてきたものがあったお蔭です。

ジャージーを岩手・雫石で飼い始めてもらって、
私も月1でお手伝いに岩手に出入りしていたのですが、
その時期は、黒毛和牛がなんでもかんでも一番高かった時期だったので、
「こんな時にあんな茶色い毛の牛に牛舎のスペースを使うなんて馬鹿だ」
「荻澤、ジャージーの餌代だすなんて大丈夫か」
親身的なものも含めて、いろいろな声があちこちから聞こえてきました。

でも、結果的には、やって良かったです。
ジャージーたちがその後の自分を助けてくれました。
視野の広がりや、いろんな出会いという面で。
その後、熊本あか牛の井信行さんと出会わせてもらったものの、
井さんが同じような想いでジャージーを飼っていなかったら、
意気投合して、あか牛を扱わせて頂くこともなかったかと。

それから、埼玉・東松山の国分牧場さんとお会いして、
希少な乳用種などのお肉を扱わせて頂くことになったのも、
おそらく、そういう取り組みをしていなかったらなかったかと。

お肉自体はすべて、まだ道半ばです。
生き物だから、1頭1頭個性があって、人が思うようにはならないし、
1頭の牛の中でも、とっても評判良い部位があるかと思えば、
まったく逆の評価をもらう部位もあります。
何もわかったなんて言えません。
でも、それはきっとずっと。
ただ、生産者さんやお肉屋さん、またその先にいる料理人さんたちと一緒に、向き合わせてもらえたり、走っていく方向が見えるだけで十分ありがたいこと。
私のいる意味は、周りにいるプロフェッショナルな方々を繋げることなんだ、と。

生産者さんに枝肉やお肉の報告をすると、例えば、
餌をもうちょっとこうしてみようかな、でも、うちの牛舎寒いからな、と、
まずは生き物として、続いて、仕上がりとして、
何が良いのか、一緒に凄い真剣に考えてくれます。

黒毛和牛、短角牛、あか牛、ジャージー、交雑牛たち。
それぞれの品種の素晴らしさも、弱点もあります。
でも、他があるからこそ、その品種の良さが際立つのだと思います。
多様性が大事。
全部なくなって欲しくないです。
牛たちがいることで、それぞれの地域は守られます。
でも、牛自身がモテモテになってくれないと、
生産者さんも飼い続けることができない。
そうすると、産地の光景が変わってきてしまう。

流通に携わることで、なにか少しでも役に立てるのであれば、
微々たる力だけど、活動していきたい。
さらに、そういう想いを応援してくれる方々の気持ちに
恩返ししたいから、美味しいお肉をお届けするために
自分の立場でできる努力を精一杯していきたいし、成長したい。

それが東京宝山をはじめて、続けていく理由です。

10年続けてきて、伝えていくこと、少しずつ重ねていくこと、
自分自身にとって大事だな、と気づかせてもらいました。

これからも少しずつですが、地道に重ねていきたいと思いますので、
引き続きの10年、20年もどうぞよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?