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#012  映画『月』鑑賞後の感想

劇場に席を予約したうえで見に行きました。
通路側の2席を取りました。

【席選び】
もしもの時、すぐに逃げる体勢をとるため通路側を選択。
後ろの席は二人組(多分カップル)が取ったと想定して、その前の席を取りました。
(当日着席前に見ると穏やかそうなカップルが座っていました。)
知らない人に不意に頭や席を殴られたくないからです。
前は通路側に1人だったかな。(空席だったかも。)
全体的に埋まってました。最後列の好きな席はもちろん埋まっていました。

真ん中の席は音とか、見た目とか良いかもしれませんが、選びません。大差ないし、安全優先です。私はいつでもパニックを想定して席を選んでいます。あとトイレに行きたくなったときや、退席したくなった時に外にすぐ行けるように選びます。

特に指定席だと、隣に知らない人がいても避けることができません。

(そういえば、昔は自由席の劇場がほとんどでしたね。何回見ても良かったし。)

この日は、みんなが出てから退席しようと待っていたら、『次の上映までお時間が少なくなっています!速やかに退席をお願いします。』という内容で係の人が言いに来ました。

【予告】
驚いたのは予告が作品によっては2回ありました。既視感をその場で与えるためでしょう。(広告を出す料金も異なるでしょうね。)広告主の目的通り、私の記憶に残りました。あ、あと他にも後から入場した人にも見てもらうためにも良い作戦だなと思いました。

【本編】ざっくり紹介のみ。

静かに始まります。

そして、新人のヨウコ(宮沢りえさん)さんが施設に入職して、笑顔の先輩の年下のヨウコ(二階堂ふみさん)さんがちょっと違和感ある感じで笑顔で接します。

それから、年下のヨウコさん(小説家志望)は酔っ払うと鋭い本音を吐き出します。(家庭環境に課題あり)次第に本音ばかり言うようになります。

犯人Uの役は『◯◯くんって呼ばれてます』と自己紹介します。(◯◯忘れちゃいました。)演じるのは俳優の磯村勇斗さん。
◯◯くんは、自分で紙芝居をするなど工夫して誠実に仕事をしています。(紙芝居内容や発言内容は注目。)

施設同僚の2人の男性職員が悪い感じで率直で、仕事の効率化を求め、施設方針に従い、◯◯くんに辛く当たります。(私はこの人たちのことを『アイツラ』と呼んだほうがいいと思いました。)

『妄信』の内容とほぼ同じで、入院を経て事件が起こります。

怪我など細かくは描かれませんが、それが想像できる演出になっています。

施設等で働いたことのある方や、お家やグループホームなどで共に暮らす方たちにとっては、すべてが匂いとともに想像できる作りになっていると思いました。(いつの時代のどこの話だよ、というのも含めて)
ご本人、当事者の方にとってはどうなのか、気になりますが、見たいという意思を示して劇場にいける人がいるのかどうかは正直わかりません。でも、私が見た回は、お父さんらしき方に手を引かれ後方の席に向かう方をお一人見かけました。後方から『あー、うー、うー、、、、』と上演中にも頻回うっすら聞こえていましたが特に気になりませんでした。感想を伺いたいです。

見る方の想像力や経験により、よりつらく苦しい内容となると思われます。

不妊治療や、優生思想、子を失うことなど耐え難い経験をされた方には見ない選択もあると思います。

体調や気分が優れない時は見ないほうがいいと思います。

知りたい、俳優さんたちを応援したい、映画業界を応援したいと思う方には是非劇場に見に行って欲しいと思います。


【感想】
『障害者は〜』、と◯◯くんが語ります。
それは表面的な予算や経済的な話で、社会全体のさまざまなことを包括した話ではないということが、ヨウコ(宮沢りえさん)の夫(オダギリジョー)と喫茶店で話をし、結果普段穏やかな夫が怒りぶん殴るということでもわかるなぁ、と私は思いました。

別の話になりますが、私は、障害者手帳をもっています。社会的には障害者です。(生まれ育った家族では1人にしか伝えていませんし、ほとんどの友人知人、職場の人には伏せています。通院もほぼ伏せています。自分では受け入れていてともに生きていこうと思っています。周りの理解は人によって20年〜はかかると思っています。一生無理な場合も多いと思います。社会の変化もありますが、固定された本人の信念は簡単に変わるものではありません。)

 一般的に被告人の場合はどうでしょうか。病院や精神科通院歴がなく、犯罪により逮捕され精神鑑定が必要と判断され、精神鑑定が実施された結果によっては世間では障害に値するのでは?と思える内容でも『☓☓と言えるほどではない』とされて話は進むような印象があります。(あくまでも、私の印象です。また、複数の問題が混ざってしまいましたが、そこまで私のライティング能力がないのでご容赦下さい。)

 何が言いたいかと言うと、どんなに元気に見える人も困りごとはあるかもしれないし、何が起こるかわからないし、事件や事故が起こる前に、周囲が観察やコミュニケーションを取るなどして適切に医療や支援に繋がっておく事が必要だと思っています。いきなり爆発する(ように見える)のは本人も周りも困ります。(周囲の人間に本人を観察できてコミニケーションが取れるならそんなことにはならない、という意見があるのは想像できます。)

 ただ、今回のこの事件は、冷静に強い意志を持って計画し実行しています。計画や考えが知られ、入院もしたのに。。。考えを変える気はないうえ、退院をできる状態のフリをして2週間で退院できて、実行に移すことができてしまったことは大きな課題であると『妄信』にも書かれていた通り、私もそう思います。(薬物の不正な使用の課題もあります。)

 私は障害にはたくさんの種類があって、それは見た目にわかるもの(見る人によってわかる範囲は大きく異なる)、わからないもの(おなじく見る人によって範囲は大きく異なる)があることをこれまでに学んできました。さらには、コミニケーションをとってみないとわからないもの、さらにさらに言えば、コミニケーションを長いスパンで続けていかないとわからないものもあると自分の体験からも一部わかりました。(まだまだ理解している途中。)

 歴史的に古くは戦争の後は、身体障害者が増えその対応に注目が集まりがちだったようです。大怪我をして生還する人が多かったからと先のオリンピック、パラリンピックの資料から学びました。

 劇中『私は絶対にあなたを認めない。』
とヨウコさん(宮沢りえさん)は言います。(演出では自分が自分に強くストレートに問いかける。)

 本音ではどうでしょうか。

 私は障害者は存在して当たり前だし、それを明かさなくてもいいし、明かしてもいいし、周囲がどうのこうの言うことではないと考えています。呼び方や表記にはここでは触れません。

 性的少数者の問題でもそうですが、どんな人も居て当たり前、あなたが知らないだけで、すでにどこにでもいるし、いていいとか悪いとかそんなことを他人に言われる筋合いはないと思っています。

 もちろん、法に触れることや他人の権利を侵害することはいけないし、それは含みません。そこでもまた課題はあると思いますが、人が存在することに他人が良いの悪いの生きるの死ぬの言う権利はないと信じているのはたしかなことです。

以上です。

読んでいただきありがとうございました。

追伸、高畑淳子さんのお顔を見て、一瞬誰かわからなかったけれど声でわかって、悲しみの表現では苦しくて涙が止まりませんでした。叫ぶだけが表現ではないけれど、その外見と表情と失った現実直後の演出としてそういう表現で観客に訴えかけてきたことは確かなことでした。なんて言ったらいいかわからないのだけど、良かったです。














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