相法秘受解(巻之一/天之巻)
元祖 聖徳皇太子
中祖 水野南北居士
《自序》
これまで、日本においても中国においても、看相の名家(=名門、一派)はほとんど存在してこなかった。相書もまた、あまたに存在はするものの、それらの支流、余波は滔々(とうとう)として天下に瀰漫(びまん、=蔓延)している。ゆえに、私の相法は師伝に依らず、文字(=書物)に拘(かかわ)らない。私は未熟であった頃から相法にのみ精神を集中し、すでに四十余年が過ぎた。そしてついに、得るものがあった。それ以降、諸国で数万人を観相したが、観誤る事は一度としてなかった。今年、壬戌の春であるが、門人の懇求があり、断るわけにもゆかず、この天地人の三篇を著した。この書は私の一家言(いっかげん、=独自の見識)であり、希有(けう)な内容である。一般的に、相法の大意は三停、六府、五官、十二宮、五岳などの骨格について、身体の泰否を観見し、髪毛、爪歯、皮肉、筋骨、血色、語声を明察し、その後自ずと神明に眼熟して、ついには幽玄に至るのである。相術は何とも不可思議なものであり、相法は何とも優れているものであり、言葉によって全てを明らかに出来るものではない。そもそも、世界は混沌(=陰陽混合の状態)が初めにあり、それが分かれて後、乾坤(=陽陰、天地)が奠(さだ)まった。軽く清い気が上に浮かんで天となり、重く濁った気が下に留まり地となった。万物は天地に順(したが)って発生し、天地に順って存亡するのである。万物の中で最も優れているのは人である。心は天地に応じ、体は万物に応ずる。ゆえに、一心が天命に順っていれば善いとし、逆に一念が天命に逆らっていれば悪いとする。さらに、悪相が変じて好相となる事もあれば、凶事が転じて吉事となる事もある。天地の変化は一国一郷(いっこくいっきょう、=場所によって異なるもの)であり、陰晴(いんせい、=曇りと晴れ)が完全に同じであるという事はない。また、人心の善悪は一朝一夕(=変化しやすいもの)であり、禍福(=吉凶)が安定していない者は、心の中に順逆(=正邪)があるに等しい。ゆえに、君子はただその始まりを慎戒(しんかい、=慎み用心する)するのである。つまり、誤差が毫釐(ごうり、=わずか)であったとしても、千里も行けば大きな差が出るのである。だが、恐れることはない。もし、看相の道を窮(きわ)めたいと願うならば、まずは天地人の三才に貫通し(=完全に理解し)、万物の根源を明鑑(=明鏡)にして、その後に善悪、邪正、禍福、死生を甄別(けんべつ、≒鑑別)して、暁諭(ぎょうゆ、=諭{ただ})し、人々が確実に、その始まりを慎戒するように促すのである。そして、天命の性(さが)に戻らない事を相者の道とするのである。これらの相法については、この書の図説にて詳しく記した。
于時(ときに)
享和二年(1802年) 壬戌春 三月
攝陽 南翁軒 謹序
*毫釐…『史記』の太史公自序にある「失之毫釐(これを毫釐に失えば)、差以千里(たがうに千里を以ってす)」に基づいた言葉であると思われる。
*天命の性…人の生まれつきの性質は悪であるとする、荀子(じゅんし)が唱えた説に基づいた言葉であると思われる。つまり、南翁軒は性悪説を支持していたようである。ちなみに、『荀子』の性悪編には「人之性悪(人の性は悪であり)、其善者偽也(その善にみえる部分は偽りである)」とあり、孟子が唱えた性善説に対して異説を唱えているのがわかる。
*攝陽(せつよう)…摂津国の中の、太平洋側を攝陽としたと思われる。
《血色・骨格の論》
《十穴の図》
↑「十穴の図」、「血色の論は南北相法にあり」
・天陽(てんよう)…思わぬ吉凶を司る。あるいは高位・高官の事を観る。
・神光(しんこう)…神仏の事を観る。または、家の事を相する。
・山林(さんりん)…先祖の家督を観る。または、運の事を相する。
・駅馬(えきば)…普請(≒家の増改築)の事を観る。または、旅行の事を観る。
・交友(こうゆう)…朋友の事を観る。または、世間の事を観る。
・家続(かぞく)…心気の事を観る。または、家督の事を観る。
・魚尾(ぎょび)…心気の事を観る。または、業の吉凶を観る。
・奸門(かんもん)…陰の女の事を観る。または、世間からの善悪を相する。
・人中(にんちゅう)…家督の事を観る。または、家督に関する厄介事を観る。
・承漿(しょうしょう)…食物の障りを観る。
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