ゼンブノセ!!-神役も悪役もぜんぶ俺な件- ①

「さぁ、そろそろ時間だ」

スマホは、23:00を表示した。それの持ち主である少年は、目に掛かる鬱陶しそうな前髪の隙間で、三日月のように楽しそうに目を細める。やや癖のある黒髪は悪魔の呪いが具現化したかのように夜風に怪しくなびいた。

ここは近々取り壊されるビルの屋上。

摩訶不思議なオレンジ色に輝く大きな満月を背負った少年ー苅間ツナミ(かりまつなみ)は、176cmの身の丈と同じ長さの鎌を、音もなく振り上げる。
ツナミが動くと、今まで影になっていた右耳の、軟骨にねじ込まれたシルバーリングのピアスがぎらりと輝いた。

鎌は深い闇色で、月の光を反射させようとも、どこまでも黒い。夜空との境目が曖昧で、その間合いに誤って手を伸ばそうものなら、知らぬ間に指が飛んでしまいそうだ。

「ま、まま、待ってください……! まだ、私にはやり残したことが……っ こ、子どもが、子どもがまだ幼いんです……っ!!」

「そっか、それは心が痛むよ」

ツナミは吊り上げていた口角を急降下させ、コンクリの地面に四つん這いになって命乞いをする初老の男を見下ろす。

非情なふるまいとは裏腹に、目の前の男の悲しみに寄り添うような-神にも見えるほど気高く、そして慈悲深い表情を浮かべている。

「どうか、命だけは助け……、っ!?!?」

男の声は呆気なく途切れる。
黒く小さな塊が宙を舞い、ぽとり、と硬く冷たいコンクリートの上に転がった。

「子どもが幼いって、それ、さっきも聞いた」

二手に分かれた男を交互に見やりながら、ツナミは退屈そうに言った。神のような表情はもはや見る影もない。鎌の先に滴る血を振り払うその姿は、どこからどう見ても悪魔そのもの。

さっきまで生きていたそれは頭を失い、誰とも見分けのつかない胴体だけがツナミの足元に横たわっている。

ふと、ツナミのスマホが着信を知らせた。
応答ボタンの方向へ指をスライドさせてから耳に当てる。

「……あ、ツナミ、もう終わった? おばさんにドーナツもらったんだけど、チョコットリングとポンポンリングどっちがいい?」

「うん、ヨユーで終わった。ていうか、今なんて……ど、ドゥーナツゥだと?? んなの選べるわけねえだろ !!! あ、いいこと思い付いた。火華(ひばな)に先に選ばせてやって」

ツナミは途端にテンションのギアを入れ替える。
足元では、男の胴体からいよいよ血が流れ出てきた……かと思えばスッと消えてしまう。胴体はもちろん、その辺に転がっていた頭部も、どこか別の空間へ送られたような、そんなふうにして見えなくなった。

「さすが発音いいなあ。今聞いたらね、火華ちゃんはポンポンリングがいいって」

「りょ! 先食ってていいって言って! 俺もすぐ帰るっ」

すちゃっと通話を終了したツナミは再び口角を吊り上げた。

そうして、身の丈ほどの鎌を空を切るように一振りする。するとたちまちそれは小さくなり、ネックレスのチャームへと姿を変えた。首にかかっていたチェーンに通して、帰宅準備完了。

自分の身長よりも高い歪んだフェンスを軽々乗り越える。ビルの外壁を足場に、壁に対して体を垂直にした状態で走り、光の速さで降りていった。

***

「ただいまーっと!!!」

家の玄関扉を開くなり、ツナミは宙返りしながら靴を脱ぎ捨てる。同居人の趣味であるスカイブルーのラグが敷かれた廊下へ、体操のオリンピック選手並みのきれいなフォームで着地した。

人間と変わらない外見をしているが、その動作ひとつひとつが大袈裟かつ規格外で、人間離れしていた。
それもそのはず。見た目こそ普通の少年だが、ツナミは神であり、悪魔であり、死神であり、吸血鬼であり、鬼であり、そして人間だった。

世界の神話や聖書、昔話なんかに出てくる想像上のキャラクターを”全部乗せ”したような存在だ。

どうしてそんなことになったのかと言うと、呪いの儀式で無理やり……といった闇深い背景があるわけではなく、それに比べれば案外平凡な理由だったりする。簡単に説明するなら、遺伝というやつが関係している。

まず、ツナミの父親は神で、母親は死神だった。
その流れ(どんな流れ)で遡っていくと、以下のような難解な家系図が繰り広げられている。

<父方>
祖父:神
祖母:吸血鬼
曽祖父:鬼
曽祖母:神

<母方>
祖父:死神
祖母:悪魔
曽祖父:死神
曽祖母:人間

……ざっとこんなところだろうか。

父親の両親も相当混雑した血筋なため、一応”神”と位置づけられてはいるが天界に住んでいる純粋な神とは異なり、父は混血種に当たる。
他の親族も、死神や鬼などといった肩書きはあるものの、純潔の一族とは別物ものだった。

こうして代々バラエティに飛んだ婚姻を繰り返したがために、ツナミも漏れなくトッピング過多な存在として生まれた。一族のなかで唯一、ツナミだけは固定の肩書きがなかった。

ちなみに、唯一の人間である母方の曽祖母の両親が、さらに混血種の吸血鬼(人間と吸血鬼のハーフ)と神なので、ツナミに混ざっている人間の血は限りなく薄い。曽祖父や曽祖母より上を遡っても、遥か昔にポツリと人間の先祖がいるくらいだ。

また反対に、最も濃いのは神の血だった。
「じゃあ神って名乗っていいじゃん」と父親に言ったことがあったが、即却下された。神の血が一番濃いのは確かだが、そう名乗るにはやや薄いらしい。ツナミは何者でもあり、何者でもない、半端者だった。

そんな混血のツナミは、ひょっとするとどこでも暮らしていけそうに思える。が、現在はこうして、人間が暮らす人間界で暮らしている。

あまりにも血が混ざりすぎたせいで、ツナミの一族はどの種族の土地にも居場所がないというのがオチだ。

それに、人間以外は縄張り意識が恐ろしく強く、自分と異なる存在をことごとく嫌う。

加えて、他の種族の体臭を嗅ぎ続けることで、禁断症状が現れる場合もあった。それは、突然狂ったように暴れ出し、敵や味方関係なく襲いかかるという厄介なものだった。

そのせいで、純血種の死神一族を壊滅させかけた過去があり(なのでツナミたちは死神と仲が悪い)、今現在ツナミの一族は人間界で暮らしている、というわけだ。

「おかえり、ツナミ」

電話で話していた例のドーナツを食べながら、フリルがあしらわれた上品なワンピースを着た少女-門川火華(かどかわひばな)が、銀色のロングヘアをなびかせてツナミの元へやってきた。ちなみに、スカイブルーのラグは火華の趣味である。

火華は17歳のツナミよりも2つ年下のはずだが、冷静な思考と、全てを見透かすようなラベンダー色の瞳のために、年上に見られることが多かった。
無駄なことは一切口にせず(というか、火華からしてみればこの世の大半は無駄)、基本的にその顔には表情がない。物静かな印象を受ける不思議な存在だった。

「ただいま、火華」

火華の顔を見るなり、ツナミはようやく人間らしい、それでいて穏やかな表情を浮かべた。

「お、ツナミ、おかえり〜」

火華に続き、電話越しに聞こえた声の主-浜路青羽(はまじあおば)も部屋の奥から顔を出した。黒ベースに金色のインナーカラーを仕込んだ髪は、毛先が肩に付くらいに長めで、顔立ちも中性的だが、その実態は紛れもなく男である。

「ただいま、青羽」

火華の頭を撫でながら、ツナミは青羽にひらっと手を振った。

青羽はツナミと同じ17歳の少年で、堕天使の純血種。神に背いた罪で天界を追放された堕天使・ルシファーの血を色濃く受け継いでおり、一族になかでもとくに期待されているエリートだ。

そのルシファーは、今や悪魔・サタンに取り込まれ、悪魔界を束ねる最強の存在として君臨している。それにより堕天使は居場所を追われ、青羽たちもツナミの一族同様に人間界で暮らしているのだった。

複数の種族の血が混ざっているツナミと、堕天使の青羽。やや混雑した世界観だが、もう1つ付け加えると、火華は唯一の人間だ。

3人は人間界で起きたある事件をきっかけに、町外れの3LDKのシェアハウスで一緒に暮らしていた。
3つの洋室の真ん中には共有スペースのリビングがあり、ツナミたちは夜な夜なここに集まって、ご近所さんからお裾分けしてもらった料理やお菓子を食べながら駄弁るのが日課だった。もっとも、火華に関しては、ただ黙々と食べているだけなのだが。

「ケガしなかった?」

青羽もスカイブルーのラグのところまでやって来た。
ツナミよりも長身の青羽は、細身の体躯を縮こめる。黒いニットの袖ですっぽりと覆い隠した手を幽霊のようにゆらゆらさせ、心配そうな眼差しをツナミに向けた。

「おう、ぜんぜんヨユー。青羽は毎回心配しすぎなんだよ!」

ツナミは青羽の眼前にピースを突き出した。

「いやぁ……ちょっとしたケガならいいけど、ツナミの場合そこから歯止めが効かなくなりそうだから」

「調子に乗ると血の組成バランスが崩れるって? はは、俺が暴れ出したら青羽が死ぬ気で止めてくれれば大丈夫だろ」

青羽は一瞬腑に落ちない表情をするも、「わかった」と言っただけで、言い返したりはしなかった。

実際のところ、青羽が心配するように、ツナミはわずかでも血を流せば暴走し始める体質だ。

普段は、体内の血液のうちもっとも多くを占める神の血によって、そのほかの悪しき種族の血が暴れ出さないよう押さえ込まれている。
が、それは非常に絶妙で繊細なバランスで成り立ったおり、1滴でも血が体外へ流れ出れば、たちまち組成は変化してしまう。

少量であれば暴走を起こすことで攻撃力を高める効果が期待でき、あえて自ら出血させることもあったりする。
けれど、目の前の相手が強ければ強いほどツナミは捨て身で戦う傾向にあり、青羽はそれを案じているのだった。

複数の血で構成されたツナミは、それぞれの種族の弱点(吸血鬼は太陽が苦手など)をも克服した、いわば最強の存在。

そんなツナミが大量に血を失い、自我を失うほどに暴走しだしたら、止められる者はいない。世界を破壊し尽くしたのち、最後にはツナミ自身まで滅んでしまう可能性があった。

ツナミと青羽が話している間、火華はせっせとドーナツを食べ進めていた。
……と、ドーナツに夢中だった火華がふいに顔を上げる。

「来た……」

「だな」

火華が鼻をひくつかせ、嗅ぎつけたその匂いに、ツナミも気付いていた。

「……ホントだ。火華ちゃん、毎回よく分かるね」

一拍遅れて、青羽も”気配”がするほうへ振り向く。
火華は特別な血は一切混ざっていない純粋な人間だが、人であって人でないものの気配を察する勘に優れていた。

「火華、俺から離れるなよ」

ツナミは火華を自分の背中のほうへ誘導した。

人であって人でないものの気配は、空気が貼り詰める感覚があり、辺りの匂いも一変する。血の生臭さをより濃密にしたような匂いで、強烈に鼻を突いてくる。それが今、玄関前まで迫っていた。

-ピンポーン

あたかも普通の訪問客であるかのように、その気配は平然とドアのチャイムを鳴らした。もしも異様な気配を帯びていなくとも、これほど夜遅くの来客は警戒するに決まっている。

ツナミは襟首の中にしまっていたネックレスを引っ張り出し、再び大きな鎌へと変身させた。同時に青羽も、犬歯と黒く塗った爪を瞬時に尖らせ、いつ何が起きても戦える準備を整える。火華はそんな2人の背後に身を潜めた。

壁に設置されている玄関モニターで確認すると、扉を隔っててそこに立っていたのは、前髪を七三分けにピタッと固めて顔を蒼白にしたサラリーマン風の男。途端、ツナミは鼻をぴくっと動かした。

「こいつ……」

生気が限りなくゼロであること以外、どこにでもいそうな風貌のその男を見て、ツナミは顔色を変える。

目の前の奇妙な存在は、すでに頭と胴が切り離されているはずの-先ほどツナミが始末したあの男で間違いなかった。

「あれ、この人、今夜のツナミの……返却されちゃったかあ」

ツナミの様子が変わったのを見て、青羽はすぐに察した。

どの種族にも属していないツナミの役割は、中立的な立場で人間を捌くことだ。
捌くといっても、必ずしも死をもたらすだけではなく、その人間が死ぬ必要があるかどうかを判断するのもツナミの勤めだ。罪を犯した人間だけでなく、死期が訪れた人間もこれに含まれる。

なぜ、ツナミのような存在が必要なのかというと。

神であれば神聖なる天界に招き入れる際、人間を捌く目が厳しくなりすぎ、その人間が良い行いをしているにも関わらず、地獄行きを決定したりする。
これが悪魔であれば、人が壊れるまで誘惑し続けて弄び、最終的に火と硫黄の入り混じった池へ突き放して終わりだ。その後のことなど知ったことではない。

また、死神であれば、もともとの役割に則り、人の行いの良し悪しに関わらずただ魂を狩る。その行き先は、神に委ねられ、上記のような偏った審判をしかねない。

そして吸血鬼は、人の血を吸うことで仲間に引き入れることしか考えていない(ただし美女またはイケメンに限る。そのほかは血を搾り取って殺す)。同じく鬼も欲に任せて食い散らかすのみだ。

すべての種族の血を引くツナミの一族は、そんな無法地帯を正すため、唯一人間を公平に捌ける存在として、その役割を担っていた。

天界にふさわしければ天界へ導き、反対に地獄にふさわしいとジャッジすれば速やかに地獄へ落とした。

そのどちらでもなく、それでも人間界にはもう居場所がないと判断した場合は、それぞれの種族に明け渡すことにしている。両親にそう教えられたのだ。

死神として永遠に人の死と向き合うか、吸血鬼や鬼のように四六時中消えることのない喉の渇きや食欲を感じ続けながら在るのか。一度正しく捌かれた人間は、その界隈に棲まう彼らの好きに扱っていいこととなっている。

「こいつはさっき……」

-死神の元へ送ったはずだった。

行き先は、鎌でどの部位を切ったかで振り分けられる。
心臓に突き刺せば吸血鬼、両足を切断すれば鬼、首を切れば死神、頭頂部から胴まで真っ二つにすれば悪魔、空を切るだけでケガを負わせなければ神の元へ転送される。そう決まっていた。

この男については、頭と胴を切り離したので-つまり首を切られたために、死神の元へ転送されたということになる。
その後のことの一切を死神の一族へ任せた、というか押し付けたはずだった。

「死神め、送り返してきやがったな」

神と悪魔は偉大な存在なので、まあ多少のわがままは受け入れるとしよう。吸血鬼や鬼もツナミの一族には従順で、かわいいところもある。

……が、死神に限っては、肩書きの一部に「神」と付くせいか妙に屁理屈でプライドが高い。今夜のように一度送った魂を送り返してくることがたまに、いや、かなりあった。

「くそ、あとで夜の担当に文句言ってやる」

ツナミは闇のオーラを発しながら怒りで肩を震わせる。手にした鎌がカタカタと音を立てた。

担当-とは魂を受け入れる門の番人のことで、ジャッジが困難な魂以外は上を通さず、その担当者が受け入れるか否かを決めていいことになっている。夜を担当する門番は人間界で言うところの、夜勤担当のようなものだ。

ちなみにこの門は、神・悪魔・死神・吸血鬼・鬼、それぞれの種族が棲まう界隈の入り口に同じものが設置されている。これはツナミの一族がその昔、一斉に作らせたものだった。

神、悪魔、そして死神の3種族は初め文句を垂れていたが、かつてツナミの一族のなかでもカリスマ的存在を誇っていた先祖が笑顔で銃を乱射したために、渋々作ったそうだ。

「それにしてもひどい匂い」

ツナミと青羽の後ろにいた火華が、アンティークなくるみボタンが縫い付けられたワンピースの袖で鼻を覆った。

「大丈夫?」

青羽がサッとハンカチを取り出し、火華に差し出す。しかも、火華が持っていても違和感のない上品なデザインのハンカチだ。こういった状況を見越して用意していたとしか思えない。さすが、エリートはこういうところが違う。

「天界ならまだしも、鬼門側に送り込んだからな。そりゃ戻ってきたらくせえだろうよ」

青羽と火華のやり取りをチラチラ見ながらツナミは、いつ開け放たれるか分からない玄関扉を警戒している。

一度人間界を離れ、送り先から差し戻された魂は何かと厄介なのだ。

それぞれの種族が棲む場所は、天界と鬼門の2つに分かれている。
天界にはいわずもがな神がおり、鬼門には悪魔と死神、吸血鬼、鬼がそれぞれ存在していた。

2つに分かれている理由は人間に戻れるか否かの違いである。
天界に送った魂は差し戻されたとしても人間に戻ることが可能だ。または、鬼門側のどこかの種族に割り振ることもできる。

しかしながら、鬼門側から戻ってきた魂は匂いがきつくなるに従い、行き先も狭まってしまう。
鬼門に送られるような場合は人間界で罪を犯していることがほとんどなので、人間に戻ることはまず叶わない。それに、天界への道も閉ざされる。

加えて、どちらにも言えることとして、差し戻された魂は人間であったときよりも激しく抵抗するため、捌くのに気力と体力を消耗するのだ。
ツナミの立場ではここが最も面倒くさいところで、「死神のヤツ、こっちの仕事を増やそうとわざと差し戻してんじゃないか?」と思っていたりする。

-ピンポーン

もう一度、チャイムが鳴った。
どうやら男は自分で入って来る気はないらしい。

ツナミが公平に捌くために収集した情報によれば、男はもともと律儀な性格だった。それは、人を殺すときも同じだった。

「めんどくさ! 待って損したっ」

ツナミはドアノブに手をかける。いつも慣れたはずの玄関扉が、この時は異様に重く感じた。男の気配が侵食してきているのかもしれない。

外へ向けてゆっくり押すと、扉の影に見えたスーツの肩が、陽炎越しのようにゆらゆらと歪んで見えた。これが男から放たれている気配で、悪臭の正体だ。早く行き先を決めてやらなければ、呪いに飲み込まれてしまう。

シュ……ッ!!

ドアが開ききらないうちに、何かがツナミの頬をかすめた……と思ったら、直前で青羽が自らの手を盾に回避していた。
攻撃を食らう寸前、ツナミには男の頭のてっぺんから触手のようなものが伸びたのが見えた気がした。

ツナミを庇った青羽の手には、そのかすかな物音とは裏腹に、深い切り傷が付けられていた。本人は傷部分を反対の手で圧迫しながら、「ちょっと紙で切っちゃったてへぺろ」みたいな顔をしている。
庇われた青羽もとくに気にする様子はない。純血の堕天使である青羽は、大量出血で貧血を起こして失神するくらいはあれど、ほとんど不死身なのだ。

「だから、いつも言ってるじゃん。人間相手ならいいけど、それ以外は油断禁物だよって。ツナミ、出血が命取りになるんだからさっ」

「わりっ もう目の前で海が真っ二つに割れても油断しねえっ」

「それは写真撮って即送ってよっ」

と、余裕の表情で無駄な会話を繰り広げたあと、2人は男ともどもドアを蹴り倒し、家の外へ飛び出した。

そんな2つの後ろ姿に向かって、火華は顔の横で小さく手を振る。

「がんばって、気をつけて」

そして、なんの心配もせずに送り出した。

この時点で玄関扉は見事に吹き飛び、目の前の道からは家の中が丸見えだった。が、誰もそんなことは気にしていなかった。というか気付いてすらいない。

男はありえない角度で首を傾げ、同じく手や足も可動領域を無視してバラバラと動いている。もしも夜道で見かけたら一生トラウマになるくらいには奇怪だ。

「兆が一、ひと振りで終わらなかったらサポートよろしく」

言って、ツナミは身をやや低くして鎌を後ろへ引き、足の裏でしっかりと地面を捉えた。

「それほぼ出番なさそうだけど、了解」

ツナミの斜め後ろに立っていた青羽も、いつでも飛び出せる体勢を取ってその時を待った。

ツナミが男との間合いを詰めると、今度は触手がその頭頂部から飛び出してくるのがはっきりと見えた。街頭のおぼつかない光に照らされ、ぬらぬらと赤黒く光っている。

「うげえ」

近付いてみたものの、気色悪さにドン引きするツナミ。やや後退する-ように見せかけて、一気に間合いを詰めた。

背中を逸らして反動を付け、触手の生えた頭頂部に鎌を差し込んでから、胴までいっきにぶった切る。切られた部分が一度ぎらりと光ったかと思えば、派手な血しぶきが起こった。

「あ、やっぱり出番なかったね。おつかれ。今夜もきれいな彼岸花が咲いてたよ」

ツナミが鎌で人を仕留めると、だいたいが彼岸花が咲き誇ったように血しぶきをあげるため、青羽はよくそう言って労うのだった。

「今度は地獄に落としてやったよ。あそこのやつらは、キツイ匂いが好きだからな」

言って、ツナミはパーカーの下に着ていたTシャツの裾を破り、血がドクドクと流れ続けていた青羽の手の甲に巻きつけた。長すぎて余った部分の布は無理やり食い千切った。

転がっていた男の体が徐々に消えてなくなると、家の中にいた火華がやってきて、ツナミに抱き付いた。

「かっこよかった」

火華はやっぱり無表情でありながら、ツナミの右頬に唇をくっ付ける。
続いて左頬、口角へと移り、最後は唇へ。一通りツナミの感触を味わうと、指先で唇をなぞり、またぎゅっと抱き付いた。

火華はだいたいのことに無関心だが、関心を示したものにはこんなふうに惜しみなく愛情表現をしたりする。普段出さない感情が爆発するせいか、やや度を越しているようにも思えた。

毎度のことながらツナミは鼻の下を伸ばしていた。青羽もはそんなツナミに膝カックンをかます。

「うぐがあっ」

ツナミにべったりだった火華は、ツナミが崩れ落ちる前に冷静に状況を察し、さっと離れた。

「火華ちゃん、めちゃくちゃツナミに懐いてるよね」

この状況を『懐いている』の一言で片付けられるのが青羽という少年だ。

「そういえば聞いたことなかったけど、どうしてそんなに仲良くなったの?」

同じ時期に人間界で起きた事件をきっかけに3人で暮らすようになったが、青羽がツナミと遭遇したときにはすでに、ツナミの隣には火華がいた。
そのため青羽は、2 人が出会った経緯について詳しく知らなかった。

「んあ? 俺が火華の親を殺したからだよ」

「え」

青羽は尖らせたままだった犬歯をスッと引っ込め、神妙な顔付きでツナミを見つめた。

「……それダメじゃん」

同時に、ドーナツまだ食べてないじゃん、とも思ったりした。

第2話へ続く。

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