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第2弾【早坂よしひろnote】東京五輪と女性差別編

オリンピックの歴史を振り返れば、第一回近代オリンピックである一八九六年のアテネ・オリンピックでは、女性の参加は許されませんでした。しかし、今日ではそのようなことが許されない時代となりました。

時代とともに形を変える五輪を切り口にした人権啓発。これに取り組むことこそ東京オリンピックの大きなレガシーになり得るのではないでしょうか。

今回は、そんな「東京五輪と女性差別」について過去の発言をまとめました。

ぜひご一読ください。

(学生スタッフK)
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平成30年/2018-06-22 総務委員会
全文ママで掲載しておりますが、元データをご覧になりたい方はこちらから都議会会議録をご覧ください。


◯早坂委員 二〇二〇年東京オリンピックの成功とその先の東京の発展をどう描くか、これが今日の都政の最大の課題であると考えます。そこで、私はオリンピックという切り口から人権問題を考えてみたいと思います。もう来週になりますが、毎年十二月四日から十日までが人権週間です。この人権週間において東京都はどのような啓発活動を行うのか伺います。

◯箕輪人権部長 人権週間では毎年、法務省、全国人権擁護委員連合会、各地方自治体等の関係機関が世界人権宣言の趣旨及び重要性を訴え、人権尊重思想の普及、高揚を図るため、集中的な啓発活動を全国的に実施しております。都におきましては、今年度、多文化共生をメーンテーマに据えるとともに、スポーツ界と連携した啓発活動を実施いたします。
 具体的には、「広報東京都」十二月号に人権特集を掲載し、差別を禁じたオリンピック憲章の理念実現についての知事メッセージを掲載するほか、大相撲の琴欧洲親方を起用した多文化共生をテーマにしたテレビCM、ラジオCMの放送、さらに国、市等と共催でございますが、元Jリーガーの宮澤ミシェル氏を講師に招いた、スポーツを通じた国際交流と題した講演と映画の集いの開催などを実施いたします。これらの取り組みによりまして、都民の人権尊重思想の普及を図ってまいります。

◯早坂委員 私がきょう取り上げるのは女性差別です。オリンピックの歴史を振り返れば、第一回近代オリンピックである一八九六年のアテネ・オリンピックでは、女性の参加は許されませんでした。そもそも紀元前七七六年から西暦三九三年までの千百六十九年間行われた古代オリンピックの参加資格は、都市国家ポリスと植民市の男性市民のみに限られていました。古代ギリシャでは女性は社会的集まりにはほとんど参加できなかったという社会的差別が、古代オリンピックにもそのまま反映されていたからです。
 その後、一八九六年、明治二十九年に第一回近代オリンピックを復興させたクーベルタン男爵は、女性のオリンピック参加に強く反対していました。当時の上流階級では、女性が汗を流し、肌を出し、肉体的に争うのは、はしたないとされていたからです。また、女性がスポーツで体力を使うと出産能力に支障が出るという今日では驚くような医学的理論がまかり通っていました。一方で、女性自身の側にも、外に出ず、肌を日光にさらさないのが裕福なあかしとされており、自己規制の意識が働いていたようです。
 クーベルタン男爵は、亡くなる一九三七年の一年前、真のオリンピックの勇者は男性だ、女性の主たる役割は勝者に冠を授けることであるべきだと書き残しています。女性がオリンピックに参加できないように、古代オリンピックに倣って、競技は全裸で行うべきだと主張したともいわれています。スポーツを通じた国際平和と教育という開けた考え方を持っていたクーベルタン男爵が、事女性の参加に関しては極めて保守的だったのは皮肉に思えます。
 その後、紆余曲折の末、第九回、一九二八年アムステルダム・オリンピックでは、女子の陸上競技が試験的に導入されました。オリンピックへの女性の門戸開放という意味で、このアムステルダム・オリンピックは大きな意味を持っています。このとき行われた女子八百メートルレースをニューヨークタイムズはセンセーショナルに報じました。すなわち九人中六人がゴール直後にばたばたと倒れ、数人が運ばれた。この競技は、女性には負担が重過ぎると報じたのです。
 陸上競技が女性の体と出産能力に悪影響を及ぼすと信じられていた時代ですから、IOC、国際オリンピック委員会は、こうした報道に後押しされて、以降三十二年後の一九六〇年、ローマ・オリンピックまで女子八百メートルの競技を除外しました。ところが、実際のレースでは、九人中倒れたのは一人だけで、日本人女性初のメダリストとなった銀メダルの人見絹枝さんを含むトップの三人は、世界記録を上回る記録でゴールしました。すばらしいレースだったといえます。それがなぜ誤った報道になったかといえば、新聞記者自身が自分の目で競技を見ずに伝聞で書いたからだろうといわれています。
 しかし、腑に落ちないのは、現場で見ていたはずのIOCがなぜかその誤報に抗議しなかったということです。これはIOC委員にも女性への偏見を持つ者が少なくなく、この報道後、女性排除の格好の口実にした一面があったというのが本当のところのようです。
 さて、オリンピックの歴史の中で最もショッキングな女性差別は、一九六六年から一九九九年まで続いた性別検査です。オリンピックそのものではありませんが、一九六六年のヨーロッパ陸上選手権では、女性だけを対象に居並ぶ医師の審判員の前で順次全裸になることを求める視認調査が行われました。続くジャマイカでのイギリス連邦大会では、IAAF、国際陸連の指示によって、産婦人科の女医が全ての女性選手を検査する方法がとられました。女性だけを対象にした性別検査は一九九九年までIOCが個別事例の検査の権利を残しながらも、全員の検査を中止するまで続きました。
 今日では、ドーピング検査で行う採尿で必要なときのみ、その結果を利用して性別検査を行っています。競技種目においては、少しずつ女性にも門戸が開かれてきました。二〇一二年、ロンドン・オリンピックで女子ボクシングが種目に入り、夏のオリンピックで男性だけの競技はようやくなくなりました。
 話は変わりますが、テニスで大活躍している錦織圭選手のユニクロのユニホームは本当に格好いいと思います。しかし、一九〇〇年のロンドン・オリンピックでの女子テニスの服装は、鯨のひげでつくったコルセットでウエストを締め上げ、足首まで隠れるフリルつきのロングペチコート、頭にはクジャクの羽で飾った帽子をかぶってプレーしました。スポーツの場面でもレディーであることが強く求められたからです。
 ここまで私はオリンピックにおいて女性が経験してきた苦労、差別に関するお話をしてまいりました。しかし、オリンピックが女性の社会進出の大きな起爆剤になった例もあります。その一つが五十年前の一九六四年、東京オリンピックです。五十年前の東京オリンピックでは、東洋の魔女が女子バレーボールで大活躍し、金メダルを獲得しました。今の私には考えられないことですが、聞くところによると、当時の女性たちは結婚すると、自分の楽しみのために家から外出することはほとんどなかったそうです。それが東洋の魔女の活躍に発奮し、ママさんバレーが大流行、女性がみずからの楽しみのために外出する、あるいはスポーツを楽しむというすばらしい習慣、レガシーがこのときから生まれました。一九六四年、東京オリンピックが後世にもたらした財産、レガシーといえば、東海道新幹線や首都高速道路の完成、カラーテレビの普及などを挙げる方が多いと思います。しかし、私は一九六四年、東京オリンピックの開催が日本女性の社会進出を後押ししたことも、それらに比肩する大きなレガシーであると考えます。
 オリンピックにおける女性差別の話はこれで終わりにしますが、代表的な人権問題である人種差別においても、オリンピックは多くの試練を経験しています。一九六〇年、ローマ・オリンピックでのボクシングで金メダルを獲得したモハメド・アリは、なぜ金メダルを川に捨てたのか。一九三六年のベルリン・オリンピックで、ナチスのヒトラーは大会に出場したユダヤ人や黒人に対する激烈な差別をどのように隠蔽してオリンピックをプロパガンダ、宣伝の手段として成功させたのかなど、一々挙げていたら切りがありません。
 また、本年、二〇一四年四月には、アメリカのNBA、プロバスケットボールリーグのオーナーが人種差別発言を行い、その結果、NBAから永久追放処分と二億六千万円の罰金を科せられました。
 このようにオリンピック、あるいはスポーツの歴史は、実は人権の歴史といっても過言ではありません。オリンピックと人権という一見無関係なもの同士が極めて密接なものだということを私が知ったのは、本年七月に行われた都民講座に出席したのがきっかけです。主催は東京都人権啓発センターで、講師は首都大学東京の舛本直文教授、会場の関係で参加者は百人程度でしたが、知的刺激にあふれた本当にすばらしい都民講座でした。たしかこの講座では中西局長もお隣の席でご一緒だったと記憶しております。この都民講座を受講されたご感想をお聞かせいただければと思います。今後、オリンピックを切り口にした人権啓発を進めていくことは、二〇二〇年東京オリンピックの大きなレガシーになり得ると思います。今後の取り組みについてあわせてお伺いいたします。

◯中西総務局長 差別はあってはならないという理念を実現させるため、二〇二〇年東京大会開催に向け、都民の人権尊重理念の醸成に向けた取り組みを計画的に実施していくことが大切でございます。理事お話しの講座につきましては、私も受講し、オリンピックと人権の関係について認識を新たにいたしました。また、ご指摘のとおり、女性差別や人種差別など、これまでさまざまな人権問題の試練を経験してまいりましたオリンピックの歴史を学ぶことは、都民の人権尊重思想の普及に有効な手段であると考えます。
 そこで、東京都が今後取り組むべき人権施策を幅広い視点で検討するため、過去のオリンピック・パラリンピック開催都市における人権問題や人権施策の内容などにつきまして調査委託を行ったところでございます。今後は、その結果を活用して、二〇二〇年大会に向けた人権施策啓発活動を展開してまいります。オリンピックを切り口にした人権啓発事業の展開によりまして、人権尊重社会を実現するべく積極的に啓発に取り組んでまいります。

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東京都議会議員・早坂よしひろ 公式HPはこちら

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