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横浜中華街:国家の枠から溢れた者たちの曖昧な空間 -映画『華のスミカ』を見て-

先日『華のスミカ』というドキュメンタリー映画を見てきた。
戦後、横浜中華街の中国人(華僑)コミュニティが大陸派(中華人民共和国派)と台湾派(中華民国派)に分裂して対立した歴史を描いた映画である。

その映画を見た感想を少し書こうと思う。

本作では、横浜中華街の華僑たちがそれぞれが思う中国に自身のアイデンティティを持ち、それにコミットする様子(例:中華人民共和国/中華民国の建国記念日のパレード、学校に掲げられていた毛沢東像)が描かれているが、興味深いと思いつつも、どこか腑に落ちないような気持ちを抱えながら私は映画を見ていた。

私自身も華人二世だが(華僑と華人は微妙に違うが中国系という点では同一)、中国に長く住んだことがなく、今更中国に帰るよりも日本で暮らし続ける方が楽な華僑華人の方達が自分のアイデンティティを中国人と定義する気持ちが正直よくわからなかった。反対に私は中国に住んだことがあるものの、様々な葛藤を経て今は日本人アイデンティティの方が強い。私の方が遥かにアクチュアルな中国への実感を持っているはずなのに、そのような実感のない方の方が中国へのアイデンティティを強く持っていたりする。この不可解な現象をどうしても理解できなかった。
でもこの映画で少しわかった気がする。華僑華人たちは日本だとよそ者扱いされてしまう。優しく迎え入れてくれる人も多いけれど、やはりどこか疎外感みたいなものを感じてしまう。しかし、だからといって生活の基盤が日本にある以上今更中国に戻れないし、中国に戻ってもよそ者扱いされてしまう(劇中のフェイさんみたいに)。そこで、向かう場所のない自分の帰属感を、中国に向けるしかないのである。

しかし、この中国人アイデンティティは他に向かう場所のない帰属感ゆえに生まれているため、どこか曖昧なものである。中国人アイデンティティを持ってるからといって、彼らは完全に”中国人”のように生きるわけではない(生きられない、という方が正しいかもしれない)。例えば、本作は華僑4世の監督が紅衛兵の格好をした幼少期の父の写真を見つけたことをきっかけに制作が開始されたというが、上映後にあった監督と華僑の歴史学者の方とのトークセッションで、歴史学者の方が

「念のために言っておきますが、お父さんは別に紅衛兵ではありませんでした。これはあくまで一種のファッションです」

と言った。そこで私はハッとなった。確かに文革時の中華街では、大陸派の華僑が紅衛兵の格好をすることは多々あったらしいが、かといって彼らは本国の紅衛兵のような凄惨な暴力に走ったわけではない(台湾派とのいざこざはあったものの)。彼らはあくまで自分の行き場のない帰属感を満たすために、彼らなりの独自の仕方で“中国人“というアイデンティティに没頭するのである。

もちろん一口に“中国人“といってもいろんな人がいる。文革時に紅衛兵みたいなことをしていた人もいれば、そうでない人もいる。現代でも愛国的な行動をとりたがる人とそうでない人は双方存在する。しかし、中国にずっといた中国人、もしくは今は海外にいても長らく中国に住んでいた中国人はアクチュアルな中国への実感を持っているのに対し、華僑の2世3世の方達で中国に行ったことない、もしくは数回しか行ったことがない方たちはアクチュアルな中国への実感が乏しく、見聞による想像上の“中国”しか頭の中に描けない。この心理的な隔絶はあくまで主観的なものに過ぎないが、いろんな機会でこれを確認させられてしまう。中国に行った際に馴染めない(場合によっては現地人によそ者扱いされる)、中国語よりも日本語の方が使いやすい(本作に登場する華僑の方のほとんどは一般の日本人と区別がつかないほど流暢な日本語を話していた)、そうやって自身と(自身が帰属先として意識しようとする)中国との隔絶を幾度も認識させられる。

結局、華僑たちは、アクチュアルな中国とも違う、彼らが身を置く日本とも違う、曖昧な空間を作り上げ、そこにいることによって行き場のない自分の帰属感を満たしているのである。その曖昧な空間を彼らは“中国”と呼ぶしかないけれど、それは実際の“中国”とも異なる異質な空間である。

上映後に監督と話す機会があり、華僑のアイデンティティをどのようなものとして理解していますかと問うたところ、彼らは中国人でもなく日本人でもなく、“華僑”という存在なんだと思うと監督は答えた。劇場を離れたあと、私はこのやりとりを何度も噛み締めた。

現代中国を主要なテーマとするルポライター・安田峰俊さんの著書『境界の民』で、ベトナム系難民2世の女の子が自身のアイデンティティをめぐる葛藤を「わけのわからない黒い穴」と表現する箇所が登場する。思えば、華僑華人たちが心の中に作りあげたこの異質な空間も、「わけのわからない黒い穴」を彼らなりに埋めて色をつけたものなのかもしれない。中華街でそれぞれが思う中国の国旗(大陸であれば五星紅旗、台湾であれば青天白日旗)を嬉しそうに振る彼らを思い返して私はそう思った。

最後に横浜中華街の華僑たちが帰属先と考える二つの中国、中国大陸と台湾の現状に少し目を向けてみたい。
ご存知の通り、大陸の中華人民共和国(我々が一般的に“中国”と呼ぶもの)は近年の目覚ましい経済成長によりGDP世界2位の経済大国となり、政治や軍事などの分野においても国際的なプレゼンスをあげている。大国としての勃興を続ける中で、大陸ではナショナリズム・愛国主義の異様な高まりが見られる。
一方で、台湾にある中華民国(我々が一般的に“台湾”と呼ぶもの)は、経済的には先進国であり、80-90年代の民主化を経て、自由で活気あふれる社会となった。一方で、近年アイデンティティの分裂とも呼ぶべき現象が見られる。中国(=中華民国)人意識を持つ者と台湾人意識を持つ者の分裂である。政党で言えば、2大政党のうち国民党は前者、民進党は後者に対応する。しかし、近年若者を中心に台湾人意識を持つ者が増加の一途を辿る(現在の台湾の総統である蔡英文も民進党である)。中華街にいる台湾派と呼ばれるグループは当然「中国(=中華民国)人意識」を持つ者たちである。
“中国人“であることへの誇りが強まる大陸と“中国人”意識が弱まりつつある台湾、横浜中華街にいる大陸派と台湾派の華僑は、異なる状況にある彼らの帰属先を横目に、どのような運命を辿るのだろうか。現実がどれほど彼らの心理に影響を与えているかは計り知れないものの、彼らの内面にある曖昧な“中国”は今後も揺らぎ続ける運命を免れ得ないのかもしれない。

横浜中華街は、来訪客が美味な中華料理を求めて訪れる場であるとともに、国民国家という枠組みに収まりきれない者たちが、時にはアイデンティティに彷徨いながらも、日常を送る場でもあったのだ。

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