現金とカードを盗まれる
祭りのあと。昨夜、道に大量に散らばり踏んづけられていたバングラッシー(大麻入り飲料)の紙コップはきれいに片付けられていた。
バラナシという稀有な街に少し後ろ髪を引かれるような気もしたが、祭りを満喫した充足感が自分の中にあることを確かめる。ルドラゲストハウスに別れを告げて、祭りから引き上げる人で混んでいるバラナシJN駅を避け、リキシャでムガル・サライ駅へと行く。
予想通りジェネラル席(最下等)の切符しか手に入らず、プラットホームで車掌と交渉するも上の等級の席は全く空いていないとのこと。3人ほどの車掌を捕まえるも同じ反応。仕方がないので、ジェネラル車両のすぐ前のスリーパー車両(下から2番目)の通路にバックパックを置いてその上に座ることにした。
恐らくこれが間違いだった。
ドアは手動式で、乗車後に閉める人もいないのでたいてい開け放されており、風が顔に直撃して開放的な気分になる。荒れ地が過ぎ、菜の花畑が過ぎ、土のレンガで作った小さな家々が過ぎ、のどかな風景が続いていく。
Kindleでインド神話を読むのにも飽き、何をするでもなくぼうっと時間を消化する。
クンブ・メーラの規模はすごかった。自分という存在は70億分の1だということを物理的に見せつけられた。先進国に限ってみても12億分の1。
気が遠くなるほどの数を前にすると、自分を自分たらしめている背景を折に触れて確認しておいた方がいいなと素直に思えてくる。経済的な成功は強固な物差しのような感覚があったが、サドゥに会ってだいぶその感覚は覆された。自分の価値観を形作っている土台、家族や出身地や受けてきた教育や職場や心惹かれる友人や影響を受けた小説や絵。若いときは考えもしなかった、むしろもっと経験を積んで自分を確固たるものにしたいと思っていたが、結局戻るところはこれまでの時間であり、アイデンティティは過去に関する周りとの比較からしか生まれない。
いつの間にかうとうとと眠っており、気が付くと日が暮れて薄暗くなっていた。すでに8時間くらい乗っていた。
スリーパーの席には少し空きが出来ていたようで、通りかかった軍人が、あちらに座れと促してくれた。
席に座ってもスリーパーの他の乗客は遠巻きに眺めてくるだけで拍子抜けする。これまでの2等席や3等席は何もしなくてもなんやかんやと話しかけられて世話を焼かれたのとは違う、ひっそりとした距離感がある。
バラナシが良過ぎたか。楽しい思いを沢山した反動で、運気が落ちているようだ。
鉄道は4時間遅れで夜中12過ぎにアーグラ駅に到着。ホテルにメールで迎えを頼んでいたが、案の定来ていない。リキシャで辿り着き、泥のように眠る。
陽の光で目が覚めて、出掛ける準備をしようと荷物を整理する。そこではたと気が付く。
少額の紙幣はあるが、ポーチに入れていた500ルピー(800円)の札束約4万円分がそっくり消えている。クレジットカード2枚とキャッシュカードも消えている。
やられた。
きっと鉄道の通路でうとうとしたときだ。どうして手荷物用の南京錠を持ってきて掛けておかなかったのか悔やまれる。12年の旅のブランクを痛感する。
慌ててパスポートを確認すると、辛うじて見つかった。ポーチの表布と裏布の間に隠していたクレジットカード1枚も無事だった。マスターカードなのでインドでは最も使える。ほっとした。
ホテルのWiFiに繋ぎ、無くなったカード会社3社に国際電話をかける。不正使用も引き落しもないことを確認して停止手続きをする。
意気消沈しながらも、最も悪い事態は避けられたと自分を鼓舞する。こういうときは早く出かけて気晴らしをした方がいい。
この度初めてサポートして頂いて、めちゃくちゃ嬉しくてやる気が倍増しました。サポートしてくださる方のお心意気に感謝です。