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【苦海浄土】苦しさばかりを感じた本から美しさを読み取る。40代になってよかったと思った読書体験

「苦海浄土 わが水俣病(石牟礼道子/講談社文庫)」を読んだ。
海に流された工場排水に含まれた汚染物質(毒)により発生した奇病「水俣病」を題材にした渾身のルポルタージュであり、文学作品である。1969年に発刊し、読み続けられる名著。

手にとったきっかけは、友人から熊本出身の人類学者さんの「小さき者たちの(松村圭一郎/ミシマ社)」という書籍をもらったこと。熊本県にある「橙書店」を訪れたこと。

経年の美しさを感じる書棚で、まさに読めとばかりに光った一冊。
でも、戸惑った。
十代、将来ジャーナリストになるのもいいかもしれないと感じていた頃に一度、図書室で手に取ってはみたものの、途中で読めなくなったから。
水俣病で苦しむ人たちのすべてが痛すぎて、人が人を人と思わない公害病の現実が悲惨すぎて受け入れられなくて、どうしても読み進められなかった。
「私がジャーナリストになるなんて無理だな」そう思った。
そのときは自分は弱いと自身を責めたけれど、今は、繊細過ぎたのだとわかる。若さゆえの傷つきやすさというものが確かにある。

「今なら読めるかもしれない。」
そう思って、私はその本を手にした。あの頃は、部屋に置いてあるだけで重苦しい気配を発するように感じたのに、その本屋の力なのか、新しい装丁の力なのか、まっさらな存在に感じられる。

読み始めてからも、驚きの連続だった。
悲惨なエピソードばかりだったはずなのに、民の生活の豊かさたるや。
まるで傍で会話を聞くかのようなお国言葉。貧しくとも天の道理に沿って生きる漁村の生活。太陽の光を受けて煌めく海。極上の海の幸の描写。
いくつもの離島を旅して、ときに生活してきたから、その情景がはっきりとイメージできた。

そして、それらが美しく素朴な力を放つたびに、対照的に浮き上がってくるのが、水俣病のおそろしさ。人としての痛み、怒り、不条理…。
そのコントラスは、ものすごくキリキリと痛いのに、そのまま読書の面白みにもなって、あっという間に読み終えてしまった。

「苦海」と「浄土」が結びついたその題名、「わが水俣病」という秀逸な副題。それは、地方のどこかで起こった問題ではなく、誰にとっても「わが」問題なのだと問いかけてくる。

読み終えて、しばし、水俣の世界に心を持っていかれた。
海を見ては、この海は、水俣にも福島にもつながっていると胸がきゅうっとして、怒りと哀しみが胸に蠢いた。
金のため、経済の発展のため、貧しき人々の命を軽んじた歴史。過去だけでなく今も、進行形で、世界の、日本のあちこちで同様のことが起こっている。
いつだって犠牲になるのは、小さきものたち。

生物に害があることを知りながら有毒物質を流し続けた人と、被害を受けてしまった人と、そこに目を向け共に歩み文章を綴った人と、読む人と…どれも同じ、人。
人として、どう在るかを、やさしく厳しく、突き付けられた。

30年近い月日を経て、この作品を読めるようになって良かったね、わたし。と心底思う。
月日によって失われるものはある。他者の痛みに対して鈍感になったとも思う。けれど、得たものもたくさんあった。
辛いだらけの人生の中に確かに存在する生活の尊さを、確かにはっきりと掴まえた。

あの日読めなかった本。
逆に、感動しむせび泣いた本は、今読んだら、どのように感じるのだろうか。

読書による、己の定点観測。
贅沢な読書体験として、この先も挑戦してみたい。

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