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長谷川集平『見えない絵本』

 この連載では、1980年代の当時は話題になったけど、今は書店で手に入りにくくなっている作品を紹介していきます。

 1976年に『はせがわくんきらいや』で、絵本の世界に衝撃を与えた長谷川集平が、1985年に急逝した映画監督の伯父・浦山桐郎へのオマージュを込めた作品です。それはまた、家族ならではの、世代を超えた神話的ともいえる奇跡の物語であり、不思議な体験を通した少年の成長物語でもあります。

 主人公の少年「ぼく」は、お盆に母さんの故郷の長崎を初めて訪ね、母さんの弟で、一人者の檜二叔父さんの家に泊まり、母さんとあちこち案内してもらいます。長崎に原爆が落とされたのは知っていたけど、7万4千人もの人が亡くなり、後遺症でその後亡くなったり、今も苦しんでいる人がほぼ同数いることは初めて知ります。ペーロンという中国から伝わった荘厳なボートレース。盂蘭盆の8月15日に町中で爆竹を鳴らし、2千隻もの精霊船が港に集まる精霊流し。その日は終戦記念日だけど、キリスト教の聖母昇天の日でもあり、昔からキリスト教徒の多い長崎のカトリック教会ではお祭りがあると母さんが教えてくれます。

 祖母も、亡くなる1ヵ月前に洗礼を受けたと初めて聞き、生前行きたいと言いながら連れていけなかったという海辺の教会に叔父さんが案内してくれました。途中で原爆が投下された当時の浦上の写真や、歴史民俗資料館では十字架にかけられ処刑された26人のキリシタンの絵などを見てショックを受けたせいか、そのあたりから、ぼくの記憶が断片的になるのです。

 海水パンツをはいて波の上に浮かんでいると、まるで夢を見ているみたいです。波打ち際に立っていると、水平線の彼方から、まぶしく光る星がたくさんついた帽子をかぶり、白い洋服を着た髪の長い女の人が現れ、手招きします。ぼくは、うれしいような悲しいような不思議な気分になり記憶が薄れ、気がつくと真っ暗闇の中で病院のベッドに横たわり、目が見えなくなっていることに気づくのです。

 父さんは海外出張中だし、母さんはキャンセルできない用があるため、母さんの兄で映画監督の鱒三伯父さんが、ぼくの面倒を見てくれることになります。ぶっきらぼうで怖いけど、ぼくとは相性がいい伯父さんは、目が見えないぼくに、絵本を読んでくれます。タイトルは『いぬたち』。作者は浦桐鱒三、つまり伯父さんの名前でした。怪獣の鱗を握って島に流れ着いた犬と村人たちの奇妙な物語ですが、映画監督だけあって目が見えないぼくにも情景描写がよくわかります。話が進んでいくうちに、その犬が、なぜか自分のように思えてくるのです。

 伯父さんが読んでくれる絵本の世界に、ぼくのガールフレンドが絡まったりして、やがて奇跡的に目が見えるようになるのですが、そこに長崎に埋め込まれた土地の記憶と家族の数奇な歴史ばかりか、作者の傑作絵本『トリゴラス』の解読まで埋め込まれているあたりには、作者の構想力の重層的な広がりに驚嘆させられます。

『見えない絵本』
長谷川集平 作
初版 1989年
理論社 刊

文:野上暁(のがみ あきら)
1943年生まれ。児童文学研究家。東京純心大学現代文化学部こども文化学科客員教授。日本ペンクラブ常務理事。著書に『子ども文化の現代史〜遊び・メディア・サブカルチャーの奔流』(大月書店)、『小学館の学年誌と児童書』(論創社)などがある。

(2020年11月/12月号「子どもの本だより」より)


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