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”農”に坐す━安泰寺に出会ったネルケ無方禅師

兵庫に安泰寺という曹洞宗のお寺があります。
お寺ですが檀家を一切持たず人里離れた山間で自給自足の生活を送りながら座禅を組む、禅修行に特化したスタイル。年間1800時間、己と向き合いひたすら座禅に集中できる超実践的な禅道修行の場が、山奥で人知れず営まれています。

日本にもこんな修行僧院があったんだなぁと、驚きました。
安泰寺での修行は3年以上から。禅修行に勤しみながら寺を運営するための作務、特に自給自足のための米と野菜作りに従事します。滞在期間中、寺からの給与などは一切ありませんが、支払いの必要な経費もありません。
自然と向き合い、己と向き合い、ただただ「座る」という非常にシンプルかつ実践的な禅道を現代日本においても守り続ける希少なお寺です。

シンプルと言っても、いやシンプルであるがゆえに修行の内容はかなりハードなので、さすがに「私も参加したい!」とは思わないのですが(笑)それでもこの安泰寺からは私がやってみたい「農」の在り方そのものを感じました。

私は今、新たに農家になるべく勉強中なのですが、農業に携わりたいと思うようになったきっかけが、自分で言うのも何ですがちょっと変わっています。

欧米のとあるブッディズムの中で実践されている自給自足と修行を中心とした生活に憧れて、自分も自分なりの形で農業を中心に据えながら生きることと向き合う場作りをしてみたいと思うようになりました。
(そのあたりの詳しいところは過去のnoteにて)

海外で拡がる仏教に日本にはない、非常に純粋で新鮮な驚きを感じたのですが、安泰寺で営まれる修行の日々はさらにストイックなものです。

「何だ、わざわざ海外に目を向けなくても、日本にもあったんじゃないか。」

ドイツ人住職 ネルケ無方禅師

しかしやはりオーソドックスな日本の仏教とはかけ離れたスタイルを取っているので、安泰寺に魅力を感じて参禅しているのは過半数が海外の方です。
2020年まではなんとドイツ人のお坊さんが20年近くに渡って住職を務めておられました。

ネルケ無方さんといって、ご自身の経験から禅を解説する著書も多数、有名な方です。

このネルケ無方さんが説く禅道がとても面白く、興味深いものだったので、何回かに分けて綴ってみます。

7歳の頃にお母さんを亡くし、以来「人は何故生きるのか?」という疑問を抱き続けていたというネルケ師。生きることはかくも苦しく辛いものであるのに、何故生き続けねばならないのか。幼い頃からあまりに重く、あまりに大き過ぎるテーマを抱えて生きるネルケさんに対して、「生きていればきっと良いことがあるよ、頑張ろう!」などという励ましは何の助けにもならなかったと言います。

良き師と出会い、禅道に出会い、己と向き合う坐禅の日々から掴んだ”悟り”。

孤独に自分自身と向き合い続ける厳しい修行の日々ですが、自給自足のために日々田畑に触れることから得られた”自然”の支えがあったように感じられて、ドイツ人特有の理知的で批判を恐れない堅実さが、命を慈しむ眼差しと出会って柔らかに昇華されています。

私の”農”も、こんな風に生きることそのものと繋がるものであって欲しい。

ただまあ、私は修行僧院を開くなんてことはできないので、飽くまでもこの娑婆・俗世・世間の中でどうやって生業にしていけるか、悩ましくもあり、面白いところです。

一つの目指すべき在り方としての安泰寺と、そこでネルケ無方師が見出したものを、個人的な備忘メモも兼ねてご紹介させていただきます。

ちょっと長くなるので何回かに分けて、全4回くらいになる予定です。

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