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ハワイの恋が終わり苦しみの先に、悟りへの道が開けた 16
第三章 16 メディアの進出
りさはテレビ局に勤めていて、番組を持っている。クリスと出会ってすぐにインタビューを招いたのも、彼にとってとても幸運なことだった。
付きあうようになると、りさのハワイでの繋がりを全力でクリスに紹介した。いっかいの新任牧師が、ハワイと言えども何回もテレビ出演できたこと、フルート奏者ではあったがコンクールの肩書きもないフルーティストが、何回も無料でテレビに出られたのはりさの尽力に他ならない。狭いハワイの日本人社会においてすぐに名前が広まった。そしてクリスは、日本語新聞に、コラムを書き出した。もちろんりさの提案だった。それも無料だった。
私はウェディングのオルガンを弾く仕事をしてから長い。ウェディング、プランナーをしていた時もあるし、教会の販売権を持って、ウエディングの予約を取っていた時期もある。ハワイは、海外挙式で一番人気のロケーションである。その頃のりさは、メディアの顔以外に、ウェディング業界の知り合いも多かった。
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ハワイでは珍しいカソリックの教会
テレビの仕事の関係で、大手レコード会社の友人が出来た。私は彼女のつてで、クリスを売り出そうと思った。その話をした時に、プロモーションビデオがあると良いと言う話になり、ウェディングのビデオマンの知り合いに頼んで、PVを作ることになった。
「林さん、フルート奏者で牧師さんという友人のプロモーションビデオを作りたいのだけど、料金はどの位で引き受けてくれますか?」
「そうだなあ、普通は2000ドルくらいだけど、りささんの頼みなら、800ドルかなあ」
「ありがとう、宜しくお願いします」
クリスの教会に、カメラ二台と助手も連れて現れた。スムーズに移動できるドリースライダーも、持ってきてくれた。
クリスが教会の中と外で、演奏している写真を撮ってから、今度はハワイらしい場所に移動だ。
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ワイキキを過ぎ、カピオラニ公園のダイモンドヘッドの全貌を眺められる位置での演奏風景。ワイキキビーチの波をバックに、砂の上での演奏風景。沢山のカットを撮った。
音声は、スタジオで録音した素材を、私がテレビ局の編集室で行った。
私の助けがなければ、こんなに安価で、PVを作るなんて出来なかった。
なのに、クリスは言った。
「800ドルなんて、出す余裕がないよ。」
私は半分の、400ドルを助けてあげた。
彼の器以上の事を、してしまったのかもしれない。
私は、自分の力を、恋人に全て使うことは、当たり前だと思っていた。私の家族は、愛を持って、私に有意義だと思われることに、全面サポートしてくれたし、元恋人も、精一杯私に協力してくれた。ただ、元旦那だけは、そうではない部分があった。それが不信感になり、その他の理由も重なって、結局離婚した。でも、人に精一杯尽くすことは、自分にしてもらった記憶と経験があるから。人にもできる。私は恵まれた生い立ちだった。
知り合いに、両親又は、片親がいない子供達を、サポートしているNPOの設立者が居た。 彼は、母親と早くに死に分かれ、幼い彼を置き去りにした父、彼は養護施設に入れられた。そこでは、小柄な彼は、いじめの標的だった。彼はいつも、小石をポケットに入れて、いじめられると石を投げて攻撃した。そんな生い立ちの彼が、今は弱い子供達を助けている。すごい魂の持ち主だ。愛された記憶が少ないのに、それを克服して愛を与える立場になった。
私もクリスも、その点は恵まれすぎて、あまちゃん人生だと思い知る。
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