見出し画像

ハワイの恋が終わり苦しみの先に、悟りへの道が開けた 35

 第五章 35 クリスと時子がうまくいってない

クリスと時子が、うまくいっていないらしい。数ヶ月経っても、いろんな共通の友人達が、クリスの様子をりさに報告してくる。

 マリコから電話があった。テレビ局を辞めてからも、頻繁に電話を掛け合っていた。私が局の最近のニュースを彼女に聞いたついでに話して来た。

「パーティーで二人を見かけたけど、幸せそうじゃないのよね」とか

「普段、時子さんはハワイに居ないから、クリスさんは食事も大変らしいし痩せたわよ、不幸な顔をしている」とか。

つい最近開催された、教会85周年のパーティーでのことだった。

クリスは愚かだなあってつくづく思う。クリスを選ばなくて良かったな、という思いが出てくる。でも、この時はまだ彼の魂が成長したら、また出会って結ばれる可能性があるのかな、と少しの希望をもったりした。
このころ、捨てたおもちゃを、とり返す意識が出て来ていた。

二人をよく知っている友人、ルビーに言ったら、

「彼の本質は変わらない、りさは選ばなくて良かったよ。」との事だった。彼女はこういう冷静なことを言う。

ルビーは会った人の寿命がわかる。明日死ぬとか、明後日だとか、って言うように、日にちまではわからないが、異様にその人が気になる。又は、その人の老いた姿が思い浮かばないことがあるらしい。クリスはそんなに長生きではない。それを聞いたら、私は余計クリスが不憫に思えた。
 クリスのことは、すっかり忘れれば良いだけなのに、頭をよぎる。ずっと考えてしまう。それを友人は、まだりさちゃんはクリスを好きなのじゃ無いの?と言うが、そうではなくて、3年半連れ添ってきた相手を、直ぐにはすっかり忘れることはできないのだと思っていた。それと、きっとクリスも私のことを思っているのに違いない。クリスの念が強いこと、私の受ける感覚が強いのを最近知り合ったミーシャが言っていた。

ミーシャが言った。

「りさはどうしているのかなあ、って思うと、りさから連絡があるのよ!」と。

しかしながら、全ては妄想なのだ、今ここのことでしかないのだから。私は少し成長した。

クリスと別れて、時子が日本に帰ってから数日後だった。彼が時子と付き合い始めてからすぐ後だ、私は彼とランチをした。
クリスは言っていた

「りさは、結構思ったことを僕に言うじゃ無い?時子は何も言わないのだよね。だから、何を考えているのか良くわからないのだよ」

元々察しが悪いクリスなのに、きっと何も解らないのだろう。

それから半年が経っても、二人がうまくいっていないという話が聞こえてきた。まだ、時子はハワイに居着いていないらしい。日本と行ったり来たり、親御さんがハワイに出したくないそうだ。
以前、千佐子が言っていた。

「時子ちゃんは過保護な親から離れたかったのよね。もちろん、おじさんの教授からも。」  

お母さんのお姉さんの夫である、大学教授は、時子を愛していると内輪の人間には公言していたそうだ。さすがにプラトニックではあるが、時子からすれば、それも嫌だった。おじいさんに足を突っ込んだような年齢だ。 

そして千佐子は続けた。
「クリスさんと時子の間には、結婚さえすれば解消されると言うカルマがあるのよ。詳しいことは言えないけど。だから両家のご先祖さまとか、ソウルメイト達がみんなで協力して、二人を結婚させようとしているの。」

私には分からない世界を、千佐子はよく説明してくれる。見えない世界を語ることをオカルトみたいに、はやし立てる人が沢山居る。見えないから怖い、見えないから理解できない。でも、薄々、そういうこともあると言うのは、今まで生きて来た中で、誰もが経験していることなのに。

前にクリスが時子との事を言っていた
「僕の意識では無くて、何か見えない大きな波に飲み込まれるように、結婚話が進んでいくのだよ」と。

クリスが時子の発案で、日本でコンサートをすると決まった頃だった。私はそれとは関係なく、ネットサーフで、スピリチュアルTVというインターネットテレビを見つけていた。朝晩の2回、8時に2時間ほど放送する。 

興味深く、可能な限り毎日見ていた。この頃には司会の小泉義人さん、通称テディさんとも、名前では知り合いになっていた。ハワイ在住と言うと、目立つ、そしてチャットで参加する視聴者は限られていたから、視聴者同士も認知していた。

テディさんが悟りの解説をするこの番組は、スピリチュアルと言っても大学院レベルです、と良く言っていた。この世の仕組みや、生きるとは何か、悟りについて学ぶ。仏教が中心だが、キリスト教や大本教など、他の宗教の解説もする。いかに雑念をやり過ごして幸せに生きていくかを学ぶ。スピリチュアルビギナーは、神社仏閣、聖地を巡り、恩恵で幸せになろうとする。外に何かをしてもらおうとしている限り、心の平安は訪れないのだ。それがわかってきている視聴者が多かった。

でも、この時の私は、学びとは裏腹に、どんどん思考に囚われて苦しくなっていった。

オアフ島で、私が自宅から西方向に行こうとすると、毎回クリスの教会のある、ヌウアヌ通りを通過しなければいけない。道を越えるだけなのに、ヌウアヌ通りが近づくと、胸が苦しくなる。今日は何曜日かと考えると胸が痛くなる。水曜日はクリスがオフの日で、日曜日は礼拝の日。彼のスケジュールは分かっていたから、それを思い出すたびに胸が詰まる感じがする。車が会わなければ良いな、彼の車を見なければ良いな。と、回りを確認する。いつになったらこの習慣が取れるのだろうかと思った。


Nuuanu Ave, Honolulu Hawaii
左手の白い柵が日本国総領事館


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?